2022-10

浪曲ブラブラ

ハワイ・アメリカ放浪の鈴木南慶

「ハワイ・アメリカ放浪の鈴木南慶 - 浪曲を彩った人々」鈴木南慶は戦前戦後ハワイを中心に活躍した浪曲師・講談師。元々、浪曲師として売り出していたが、ハワイで御難に遭い、新講談という芸風に転身。浪曲一座に加わりながら、戦後まで約30年間、ハワイの名物芸人として君臨する事となる。
浪曲ブラブラ

浪曲式活動弁士・吉田奈良勝

「浪曲式活動弁士・吉田奈良勝 - 浪曲を彩った人々」吉田奈良勝は戦前活躍した浪曲師。二代目吉田奈良丸の門下生であったが、浪曲よりも活動写真に活路を見出し、浪曲入りの活弁や映画館での余興で人気を集めたという稀有な存在であった。
浪曲ブラブラ

バスの車掌から浪曲師へ・上村五郎

「バスの車掌から浪曲師へ・上村五郎 - 浪曲を彩った人々」上村五郎は戦前活躍した浪曲師。バス会社の車掌として勤務していたが、会社勤めよりも浪曲が好きで、東家楽燕校長の「日本浪曲学校」に入学。浪曲学校随一の優等生と目されたが、30代で夭折したという。
浪曲ブラブラ

サンフランシスコの名物男・北都斎謙遊

「サンフランシスコの名物男・北都斎謙遊 - 浪曲を彩った人々」北都斎謙遊は戦前活躍した浪曲師。元々北海道の生まれで、北海道を中心に浪曲を演じていたが志あってアメリカへ渡り、当地で浪曲と弁士の二足草鞋を履いて、大変な人気を博したという。桃中軒浪右衛門と並ぶ国際派浪曲師であった。
浪曲ブラブラ

声楽家も舌を巻く美声・宮川左近(三代目)

「声楽家も舌を巻く美声・宮川左近(三代目) - 浪曲を彩った人々」宮川左近(三代目)は戦前活躍した浪曲師。清楚な人柄と風貌、女性顔負けの甲高く澄み渡る美声、円満人徳な性質で一時代を築き、関東浪曲界の雄になったが、40歳で夭折をした悲劇の天才であった。
浪曲ブラブラ

四代目楽遊候補だった東家左楽遊(二代目)

東家左楽遊は戦前戦後活躍した浪曲師。三代目東家楽遊の愛弟子で、師匠の前名である「東家左楽遊」を襲名。東京方の新鋭として認められ、一時は師匠の跡を継いでの四代目襲名さえ期待されたが、遂に大成せずに終わった。
浪曲ブラブラ

出雲大社一等督事宮川中納言豊国・姉川左近

「出雲大社一等督事宮川中納言豊国・姉川左近 - 浪曲を彩った人々」姉川左近は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。「出雲大社一等督事宮川中納言豊国 帝国無双姉川左近」という滅茶苦茶長い肩書を武器に教育浪曲を演じていたという。
浪曲ブラブラ

浪花節の源流・八木亭清歌

「浪花節の源流・八木亭清歌 - 浪曲を彩った人々」八木亭清歌は浪花節黎明期に活躍した人物。デロレン祭文とさげすまれ、軍記物語が多かった当時に侠客物の領域を展開し、一時代を築き上げた。黎明期の売れっ子であるが、30代で夭折を遂げたという。
浪曲ブラブラ

浪曲界の出版王・島津三蔵

「浪曲界の出版王・島津三蔵 - 浪曲を彩った人々」島津三蔵は戦前活躍した浪曲師・浪曲ジャーナリスト。元々は親友協会の浪曲師であったが、思う所あって実業家に転向。「浪界新聞」を立ち上げて番付を作成するなど、戦前の浪曲出版に大きな影響力を持ったという。
浪曲ブラブラ

怪談浪曲の長老・近江源氏丸

「怪談浪曲の長老・近江源氏丸 - 浪曲を彩った人々」近江源氏丸は戦前戦後活躍した浪曲師。元々はコックという変わり種。広沢一派の傍流の出身であったが、広沢虎吉に目をかけられ、彼の娘婿となった。虎吉譲りの芝居仕立ての浪曲とケレンを得意とした。