バスの車掌から浪曲師へ・上村五郎

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バスの車掌から浪曲師へ・上村五郎

 人 物

 上村かみむら 五郎ごろう
 ・本 名 上村 五郎?
 ・生没年 1910年代~1941年12月
 ・出身地 ??

 来 歴

 上村五郎は戦前活躍した浪曲師。バス会社の車掌として勤務していたが、会社勤めよりも浪曲が好きで、東家楽燕校長の「日本浪曲学校」に入学。浪曲学校随一の優等生と目されたが、30代で夭折したという。

 経歴は謎が多い。『東西浪曲大名鑑』によると、元々東京市内のバス会社に勤めていたそうで、堅実に暮していたという。

 その傍らでアマチュアの浪曲教室に出入りし、浪曲の勉強をしていたが、浪曲師になる夢を持つようになり、日本浪曲学校へ入学。

 その詳しい時期も不明であるが、どうも南条文若――三波春夫と同期生であったという。

 この学校を優秀な成績で卒業し、浪曲師としてデビュー。一年先輩の雲芳雄によると「非常に期待された存在だった」らしい。

 浪曲師としてデビュー後、同じバス会社のバスガールをやっていた妻・栄子を浪曲三味線に指名し、栄子は東家みさ子の門下に入って、「東家栄子」と名乗るようになった。

 以来、夫婦同伴で仲良く浪曲師をやっていたが、1941年12月に没したという。

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