2022-11

浪曲を彩った人々

悲劇的な死・京山円千代

京山円千代は戦前活躍した女流浪曲師。京山円吉の引き立てで売出し、関西女流として一流を築いたが、1939年1月に長崎で発生した鬼池丸沈没事件に巻き込まれ、東天紅などと共に水死という悲劇的な死を遂げた。
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志仏門にあり・文珠軒松月

文殊軒松月は浪花節黎明期から大正にかけて活躍した浪曲師。淡路島から身を起し、一時は宮川松安と並んで「三羽烏」と称えられるほどの人気を集めた。円満人徳な性格で、未来を期待されたものの、大正時代になって引退をして、仏門に入ってしまったという。
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関西浪花節の源流の一人・藤川友丸

「関西浪花節の源流の一人・藤川友丸 - 浪曲を彩った人々」藤川友丸は浪花節黎明期~明治に活躍した浪曲師。浮かれ節・祭文の時代の芸人で、後に関西浪曲界の頂点に君臨した名人・藤川友春を育成した事で知られる。
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ハワイへ渡った日本亭義国

「ハワイへ渡った日本亭義国 - 浪曲を彩った人々」日本亭義国は明治~大正にかけて活躍した浪曲師。東京での評判はたいしたものではなかったというが、ハワイ巡業では素晴らしい人気を博して、数年以上日本とハワイを行き来する生活を送った。元祖海外向けタレントというべきか。
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春日井一門の始祖・春日井松之助

春日井松之助は浪花節黎明期に活躍した浪花節の芸人。デロレン祭文・浮かれ節からスタートし、独自のネタと節を練り上げ、浪花節黎明期の一枚看板となった。浪花亭駒吉と手を組んで、今日の日本浪曲協会の前身「浪花節組合」を作った功績もある。
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関西派の中堅・広沢虎遊

「関西派の中堅・広沢虎遊 - 浪曲を彩った人々」広沢虎遊は明治から昭和初期にかけて活躍した浪曲師。二代目広沢虎吉の弟子で、関西派の若手・中堅として華々しい人気を博した。戦後浪曲師・歌手として活躍した村田英雄の実父・広沢仙遊(舟遊)の師匠としても知られる。
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東西名古屋の一枚看板・大和家錦

大和家錦は浪花節黎明期から大正にかけて活躍した浪曲師。名古屋を中心に売り出し、東西で目覚ましい活躍を続けた。『太閤記』『義士伝』といった武家物を得意とし、不思議なユーモアと達者な語り口を売りにしたという。
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二代目円車になった三河家小円車

「二代目円車になった三河家小円車 - 浪曲を彩った人々」二代目三河家円車は明治末~昭和にかけて活躍した浪曲師。ドンドン節で一世を風靡した初代円車に入門し、「小円車」を襲名。二代目円車候補として頭角を示し、二代目円車を襲名したが夭折してしまったという。
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大成直前の夭折・宮川右近

宮川右近は戦前戦後活躍した浪曲師。宮川左近の偽物のような名前であるが、れっきとした人気者でラジオやレコードで吹込むだけの実績があった。宮川派の新鋭として売り出そうとした矢先、病に倒れ、40になったばかりで亡くなってしまったという。
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雲右衛門との確執・三河家梅車(初代)

三河家梅車は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。浮かれ節から万歳・盆踊り・説教・祭文などのいい所を取った明るい節廻しと話術でメキメキと頭角を現し、「三河家一門」を創設し、中京の大看板として君臨したが、最晩年は胸を病み、さらに雲右衛門との確執で不遇のまま死んでいった。