二代目円車になった三河家小円車

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二代目円車になった三河家小円車

 人 物

 三河家みかわや 小円車こえんしゃ
 ・本 名 相沢 仙太郎 
 ・生没年 1893年2月15日~1934年以前?
 ・出身地 ??

 来 歴

 二代目三河家円車は明治末~昭和にかけて活躍した浪曲師。ドンドン節で一世を風靡した初代円車に入門し、「小円車」を襲名。二代目円車候補として頭角を示し、二代目円車を襲名したが夭折してしまったという。

 本名と生年は『芸人名簿』から割り出した。「三河家小円車 相沢仙太郎(明治二六、二、一五)」とあるのが確認できる。

 前歴には謎が残るが、『雲右衛門以後』によると、元々は車大工だったそうで、「三河屋小圓車(車大工)」という記載がある。どこまで本当か不明だが。

 明治末に当時人気絶頂だった三河家円車に入門。「光車」と名付けられ、師匠について芸を覚えた――と『浅草繁盛記』にある。

 1912年7月、神田市場亭で真打披露を行った模様か。師匠の円車をはじめ、旭堂鱗生、三河家梅車、末廣亭清風が助演に出る豪華版であった。

 1913年三芳屋より出された「東京浪花節組合真打一覧表」によると既に真打として名を並べている。

 その後は主に師匠と二枚看板で歩くかたわら、浪花亭〆太の主宰する「親睦会」に所属して玉川勝太郎、浪花亭奴(三代目)、浪華軒〆友、寿々木米若などと共に芸を競い合ったという。

 1923年に出された『関東関西浪界名家番附』によると「今の花形」として別枠で記載されている。

 1924年12月19~22日、浅草松竹座で行われた「東京浪花節協会発足記念興行」に幹部として列席。

 1928年7月、神田民衆座で「小円車改め二代目円車襲名披露」を実施。師匠の名を継いで大看板となった。

 その後も一枚看板として各寄席に出演していたが、間もなく表舞台から消えてしまう。

 1934年夏に、三代目円車が出来ている事を考えると夭折した模様か。

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