アメリカに渡った・桃中軒團菊

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アメリカに渡った・桃中軒團菊

 人 物

 桃中軒とうちゅうけん 團菊だんぎく
 ・本 名 瀧口 まつ(吉田しづ?)
 ・生没年 1888年9月19日~戦後?
 ・出身地 群馬県

 来 歴

 正岡容は『雲右衛門以後』の中で、古文献を引用し、團菊は「上州前橋在馬子相手掛茶屋の娘」と記している。この元ネタがゴシップ臭いため、どこまで本当なのかは不明であるが、少なくとも上州出身なのは本当な模様か。

 本名と年齢は『芸人名簿』から割り出した。

 上州は祭文や浮かれ節の聖地で(浪花亭駒吉や東家楽遊も在住して浮かれ節を語っていたほど)、そうした関係から芸人になった模様。

 桃中軒雲右衛門の弟子――みたいに書かれる事もあるが、雲右衛門は女浪花節嫌いで弟子を取らなかったため、勝手に名乗ったとみるのが正しいだろう。ただ、下手な男弟子よりもよほど売れっ子であったというのだからおかしい。

 元々は「浪花亭菊嬢」という名前だったという。

 そもそも修業先は関西だったらしく、『都新聞』(1912年2月21日号)に、

 今回初めて上京し、十五日から千代田館に出演してゐる関西の女流浪花節桃中軒團菊(十九)。同人は声も好く節も却々巧みで雲入道に似てゐるところが大受けなりと。

 以来、千代田館の専属的な形となって、浅草を中心に公演を続けた。好事家からは「下品」「見当違い」と批判もされたが、浅草の客からは熱狂的な喝采を得た。

 後年、活動弁士として人気を集めた山野一郎は自伝『人情映画ばか』の中で、

桃中軒団菊といって欲張った芸名、女流の浪花節、髪を二百三高地に結って、丸顔太り肉の美人、お得意の読みものは股旅もので、国定忠治、清水次郎長、天保水滸伝、すばらしい節回しに声がつづいて、女だてらに、男の声色にドスが利いて、歯ぎれのいい啖呵だった……

 という感じの礼賛を綴っている。相当好きだったのだろう。

 後年、尺八・三味線奏者であった金子秀芳と結ばれ、事実上の夫婦となった。この金子は曲師・マネージャー的な立ち回りをする事となる。

 1922年1月、金子秀芳と共にハワイへ渡り、巡業。これが10数年に及ぶアメリカ生活のはじまりであった。

 当時ハワイに来ていた桃中軒雲太郎、東家昇楽などと手を組んで各島を巡演。雲右衛門譲りと称した『忠臣蔵』『安中草三郎』などで大入りを記録したという。

 1922年5月、ロサンゼルスに渡り公演。ここで東家昇楽と別れ、再び金子と同行してロサンゼルス・カリフォルニアを回り始める。

 1923年1月、当地で新年を迎える。アメリカを巡演して日本に帰る予定だったらしいが、途中で関東大震災が勃発し、帰るにも帰れなくなってしまったために、車を購入。夫の金子に運転させながら、各地を巡って、巡演。翌年6月にはニューヨークにまでたどり着いている。

 ここまで情熱的な旅をしている浪曲師はそうおるまい。『ニューヨーク新報』(1924年6月14日号)に、

「去る五月初旬自動車で大陸横断を企て御亭の金子季芳君が運転手となって、奥殿、塩湖、デンバー及びシカゴを経て此程着紐河添旅館で旅鞋の紐を解いた」

 ニューヨークへたどり着いて間もなく、玉井春洋という浅草公園出身の活動弁士の玉井春洋と出会い、手を組んだ。

 玉井が活動写真を演じ、團菊が浪花節を演じる二枚看板でニューヨーク近郊を巡業。1926年頃まで、巡業を続けて、再びカリフォルニアへと戻った。

 以来、カリフォルニア州を拠点にして、邦画を輸入。これを各地に持ち込みながら、浪曲と映画の実演で暮らしていた。

 同時期に来た桃中軒浪右衛門と同様の手段を使ったことにより、一躍米国系の芸能人の中では安定した収入と仕事先を得たという。

 この映画と実演の二本立てのスタイルは、アメリカにやって来たばかりの世界的奇術師、石田天海も真似している。天海はこの方針でしばらく生計を立て、アメリカの奇術界に飛び込む事が出来た。

 長らく、玉井春洋と二枚看板でやっていた。ただ、1934年頃、玉井が死んだのか、改名したのか、玉江一夫美という弁士と巡演するようになった。

 長らくロサンゼルス・カリフォルニアを拠点に一年を巡り、各地で浪曲を巡演して稼いでいたが、1930年代に起こった極度の日系排斥や日本軍の世間的な批判を受けて、徐々に活動を縮小せざるを得なくなった。

 あまり詳しくは記されていないが、やはり白人などから嫌な事や人種差別をされたようである。

 日系人強制収容や排斥などの噂が立ったのを悟ったのか、團菊は帰国を決意。身の回りをまとめて、日本へ戻る事になった。

 1938年4月13日の徳田丸に乗船して帰国。以来、日本で余生を送った。

 ただ、戦争などもあって苦労をしたらしい。戦後までいたらしいが――?

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