落語・網棚の荷物

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網棚の荷物

 戦後直後、首都圏や近畿圏には激しい食糧難が襲いかかり、闇市で食料を買えない庶民たちは、ボロボロの汽車や電車に乗って買い出しに出かけたものであった。
 交通網も空襲や戦争でボロボロになり、残っていた電車や汽車の品質も最悪。座席の布はなく、どこもかしこもつぎはぎだらけ。その上、屋根の上にまで人が押し寄せる始末であったというのだから、満員電車どころの騒ぎではない。
 食糧難の一方で、政府や警察は戦時中以来の「経済統制違反」を引き合いに、厳しく食料の統制を行った。一口に言えば、苦労して米や食糧を買いだしても、警察に見つかればそれを没収されてしまうのであった。
 戦時中はそうした行為を「非国民」と罵られ、警察や官憲の言いなりであったが、戦後はそういう訳にはいかなかった。戦前散々怒鳴り散らしていた憲兵が、戦後買い出し列車の中で、かつて捕まえた人と鉢合わせして赤っ恥をかいた、などという笑えない話も残っている。
 ある買い出し列車の中に、買い出し取締りの警察官が乗り込んできた。買い出しの連中は真っ青になるが下手に工作しようものなら検挙されるので、みんな素知らぬふりをおっぱじめる。
 警官は網棚の荷物を引きずり下ろし、検査を始める。
「このリュックは誰のです」
「僕のです」
「中身を改めます」
「ええ……? 中は女房に詰めさせたので何入っているかわかりませんよ」
 と、すっとぼける。男の制止を振り切って中を開けると一杯の米。
「これは何だね」
「女房の奴、米を入れやがった……家に帰りましたら離婚しますので、これはお目こぼしください」
 当然、聞き入れられずに没収。続いて、荷物を改める。
「中身は」
「米です」
「二升以上(当時一人二升までは持ち込みが認められた)あるようだが」
「そんな。僕は六感に自信がありますよ。それにこれは女房と三人の子どもにあげるんですからねえ」
「その連れ合いはここにいますか」
「ここにはいません」
 警察は米を没収してしまった。続いて、バスケットを下ろそうとすると、
「そらおらのだ、勝手に触るでねえ」
 と老婆が怒鳴りつける。
「中身は何ですか」
「そりゃイナゴだ、孫に見せるで」
「イナゴですか。中を拝見」
「イナゴが飛び出るからやめなされ」
「イナゴの下に米がありますが」
「何をいうだね! それはイナゴの餌だよ!」
「イナゴの餌を米というのですが?」
 これもあえなく没収。
 更に「米を買えない上に困窮家庭に苦しめられる男」「入院の振りをして米を持ち込もうとする男」「デカいバッグと長々とした口上を聞かされた挙句、中を改めて見ると米が二合しか入っていない老人」など、様々な乗客が登場する(これは時間次第で調節していたようである)。
 最後の男に荷物を手にかけ、中を改めようとする。
「中身は何ですか」
「かかかっかかっか」
「ええ、なんです?」
「かか、かかかかか、鉋」
「かんな一丁だけですか?」
「かかかか金槌」
「金槌に鉋、大工道具ですね。他には」
「まままま」
「まだあるんですか。弱ったね、この人はどもりだよ」
「まままま、マッチ」
「マッチですか。それだけ入っていれば目方もこれくらいになりましょう。結構です」
「ごごごごごごごご」
「え、まだ何か御用ですか?」

「ごごごごごごごご、ご、ごくろうさま!」

『落語名作全集5』より

 新作落語の雄・柳家金語楼が「戦後の食糧難の時代に着想を得て」執筆したものである。当人は少しだけ演じ、仲間の古今亭今輔へと譲渡された。

 古今亭今輔は戦後ひところこのネタを得意になって演じていたそうで、爆笑必須のネタであったという。

 若き日の立川談志は、浅草松竹演芸場で今輔のこの『網棚』を間近で見て、「ひっくり返って笑った」「これは強烈におもしろかった。」と回顧している。衝撃な落語体験であったという。

 今日では買い出し列車そのものが伝わらない上に、吃音をいじり倒す差別的な描写があるために再演は難しいだろう。

 ただ、戦後の解放された落語界における貴重な時事ネタ、戦後の悲惨さを面白おかしく伝えている点においては、優秀なネタといえようか。

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