日吉川の源流・日吉川秋水(初代)

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日吉川の源流・日吉川秋水(初代)

 人 物

 ・本 名 木村 清
 ・生没年 1886年~1925年7月17日
 ・出身地 大阪

 来 歴

 日吉川秋水は戦前活躍した浪曲師。京山一門から分家をして「日吉川」を創設。平成まで続く名門・日吉川の一門を一代で練り上げた。滑稽浪曲を得意とし、関西の客の腹をよじらせた。以来、日吉川家は滑稽浪曲の家になったという。

 芝清之『浪曲人物史』によると、元々眼鏡屋の職人であったというが、浪曲が好きで、浪曲師になってしまったという。

 1903年に京山恭末に入門。「京山恭清」と名乗っていた。

 一方、『浪花節名鑑』には、

 親友派の盛花秋水師は明治廿年の出生にはチヤキ/\の浪花児なる事言を俟たず、四十一年京山恭一に預けられ名を恭清と命ぜられ翌月千日琴平座の初舞台に突き出され二ケ月にて同席のモタレに擢んでられ反対派とは云ひ抜群の抜擢にて空前の登身なり、翌年道頓堀角座にて好評を博し梅寿軒が北海道に遠征する時北地に入り名を秋水と改め間もなく親友派の舞台に其技揮ふ事となり其進歩の迅雷耳を掩ふに暇あらざる勢ひにて実に新進の若武者にて松安と同じく芸術に熱心し大ゐに覚悟する處あり益々大好評を博し英気当たるべからざるの気概なり。

 と微妙に違う事が書かれている。もっともこれは年齢ごまかしている可能性があるため微妙。

 独立して「日吉川秋水」と改名。弟子たちも「日吉川」と名乗る事となった。これを機に「お笑い浪曲」を中心に演じるようになった。「水戸黄門」「大久保彦左衛門」などの古典や、兄弟子の京山恭一が作った「薮井玄以」という按摩が暗躍するお笑い浪曲を展開し、観客の腹をよじらせた。

 正岡容は『雲右衛門以後』の中で、

「大久保彦左衛門漫遊記」とか「水戸黄門漫遊記」とか「薮井玄以」とか「鍵屋騒動」とか、滑稽畑のみ掘り下げていつた奇才に、初代日吉川秋水がある。
 飄々と他愛ないあの独自の風格は、兎にも角にも今日、門人の二代目秋水、秋斎の上へとのこされてゐる。
 腰を曲げた大久保彦左衛門が何か呟き乍らヒョコ/\と卓子を離れて歩き出して行く飄逸さは、秋水独特のものであった。 
 薮井玄以の、例の按摩は拙くて銭は高いと云つたやうな云ひ立ても、現秋水がそのとほり演つてゐるが、あすこのペーソスある節回し。たしかに拓いた「路」と云へよう。

 とその芸を激賞している。

 桃中軒繁右衛門という雲右衛門の直弟子が荒々しい「国定忠治」を「こういう作品も読み」と教えたところ、忠治も代官も踊り出しそうなお笑い浪曲にしてしまい、繁右衛門を唖然とさせるほどの天性のお笑いを持っていたという。

 明治末からは、京山幸玉と手を組んで「秋幸会」という会を組み、寄席を巡演。高いギャラを貰っていたという。

 幸玉が滋味のある侠客物やお家騒動物をじっくり聞かせ、秋水が捧腹絶倒のお笑い浪曲を見せるという対比も売りであったと聞く。

 後年、宮川松安、岡本梅寿軒と組んで「三人会」を結成。広沢虎吉のプロデュースで凄まじく売り出し、関西の人気をかっさらった。

 松安が堅い作品、梅寿軒が現代もの、秋水がケレンとバランスが良かったのもあるのだろう。

 ユーモア満点の人物であったが、実生活では滅茶苦茶厳しかったそうで、「大旦那」と奈良丸や小圓さえも頭が上がらなかった虎吉にも噛みつく様な傑物であったという。

 梅中軒鶯童は『浪曲旅芸人』の中で、

(三人会の公演の前座に秋水の弟子の秋斎の代わりに、鶯童を入れる計画を虎吉に持ち込まれたのを聞き)
「そら出けまへんわ。ウチの梅公(秋斎の本名坂井梅之助)も、これから頭を上げんならん。晴海は小父さんの弟子やさかい譲るけど、田舎まわりの鶯童にウチの梅公が食われて不人気売るような事があったら、わたいが腹切って見せまっさ」
 井上旦那に向って、これだけの啖呵を切る人は少なかった。

 この秋水の「田舎廻り」という遠回しの罵倒を聞いた鶯童は、口惜しさと哀しさで夜眠れないほどであったという。

 大正時代、黄金時代を迎え、寄席という寄席を掛け持ちし、大劇場さえも総なめする程の人気であった。

 この頃、数枚であるがレコードを吹きこんでいる。『加賀見山』と堅い演目なのが意外である。声を聴く限り、低音の胴間声で売った二代目秋水・秋斎の弟子コンビとは裏腹に、線の細い美声であったことがうかがえる。

 日文研で聞く事が出来ます。 

 1920年代に入ると声に不調を覚え、息が続かなくなった。検査の結果、肺結核と診断され、そのまま療養生活に入った。

 しかし、当時「死病」と呼ばれた肺結核を治す術はなく、大正最後の年に夭折した。同年にはけれんの大先輩・藤川友春、ライバルの京山吾一も死んでおり、「浪曲界の巨星が三つも墜ちた」と関係者を嘆かせたという。

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