[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”indigo”]
カツレツ
ある男、仲間たちの寄り合いで洋食屋へ行った話をはじめる。
「おお、みんな、俺ァ今度できたあの角の洋食屋でライスカレーを食って出てこよとするの、そこへ銀杏返しの粋な女の子が入ってきて、俺の側へずいっと寄る。
『よくいらっしゃいましたわね』
なんて言うし、この場合男としてライスカレー一枚食っただけで出ることはできねえ。
あのトンカツって奴を一つ頼んだんだが、ただ食ってばかりじゃ女の前も具合が悪いんで、生ビールをいっぱい、なるたけアブクを入れずに持ってきな、なんて言っちゃった。
ところでよく考えてみると晩の湯銭はなくなっちまう、でも仕方がねえ、災難と諦めてとんかつを食った。だが二日三日の湯銭がこいつに消えたと思うとうまくもなんともねえ。
人の気も知らねえで女の子は『あたしが切ってあげましょう』なんてトンカツを切ってくれる。親切にされるのを見ると黙ってるわけには行かねえなあ。がま口を開けてギザギザ（銀貨のこと）があったから、女の子にやっちまった。
『此奴はトンカツじゃねえ、お前さんのだよ』なんて言ったのはいいがよく見たら爪こすりだ。大恥をかいてトンカツもナマも半分残して出てきたが残念で残念でしょうがねえ。とんかつは女の子の前で食うものじゃねえな」
と、大変な大ノロケ。
「しかし隣の奥さんがカツをこさえているのを見たがなんでもねえ。誰でもできる優しいもんだ。一つあれをここで作ろうじゃねえか。おめえたち、五十銭ずつ出しねえ。そこで鍋から上がったカツレツをソースかけて蚤取粉をかけて食わなきゃ上手くねえ。悪いがお前蚤取粉を買ってきてくんねえ」
「あれ、トンカツを蚤が食うのかい？」
「何を言いやがる、西洋の唐辛子、胡椒だよ胡椒」
さて、買い出しに出る男、あまりに物忘れが激しいので「胡椒の名を忘れそうだ」と愚痴る。
すると、仲間から「忘れたら電車の故障車を思い出せ。八百屋のお七のからくりでもいいぞ。八百屋お七に小姓の吉三のコショウ」とヒントをもらう。そして仲間は「熱いうちに食いてえから急いで買ってこいよ。」と釘を刺す。
勇んで出ていった男であったが、果たして食料品店の前で買うものを忘れてしまう。
店の親父を捕まえて、
「親父さん、蚤取粉くんねえ」
「蚤取粉？ それなら薬屋に行きなさいな。ここは食料品店」
「そうじゃねえ。電車の蚤取粉……そうじゃねえ、ほら、あの八百屋お七のからくりにあるだろ、寺は駒込吉祥寺……」
男は店先で八百屋お七のからくりを歌い始める。
「おいおい店先で歌っちゃ困る。何がほしいんだい？」
「あの電車の故障車よ」
「ますますわからない。はっきり思い出しなよ」
「電車の故障車……故障車……故障……コショウ」
「ウン？ 胡椒だろう？」
「左様だ。知ってるなら早く出してくれねえな。意地が悪い」
親父に悪態をつきながら、男は胡椒を手にまたもと来た道へと戻っていく。
無事に胡椒を買えたのは良かったが、今度は八百屋お七のからくりで頭が一杯になる。
「八百屋お七は可哀想な娘だ」
と呟きながら、
〽哀れやお七は召し捕られ、栗毛の馬に乗せられて……
と歌い始める。すっかりいい気持ちになってカツレツの約束はどことやら、八百屋お七がお仕置きとなって火あぶりの刑にあうまで、一段まるまる語ってしまう。
やっと用件を思い出した男、そそくさと戻ると、仲間たちは顔を真っ赤にしている。
「おいおい、何グズグズしてたんだい。ほれみろ、テメエの帰りがあまりにも遅いんで、鍋のトンカツがすっかり真っ黒になってしまったじゃねえか」
と、黒焦げになったトンカツを見せて文句を言ってきた。それを聞いた男、「おやおや、とんかつもお仕置きになってしまったんだな」
『読売新聞』（1929年3月14日）
戦前の爆笑派、柳家権太楼が得意とした噺。柳家三語楼譲りの英語やらカタカナ混じりの警句を連発し、素っ頓狂な声で腹をよじらせたという。
この噺は権太楼の中でも得意だったと見えて放送の他にレコードなどにも吹き込んだほど。
しかしこうして速記を見ると「くっしゃみ講釈」の焼き直しであることがよくわかった。
「くっしゃみ講釈」が傑作なので一応は見ていられるが、「くっしゃみ講釈」のようなドタバタぶりも馬鹿馬鹿しさもない上に、「胡椒を忘れたら八百屋お七で思い出す」なんて下りをそのまま使用しているあたり捻りがなさすぎる。
結局、権太楼の鋭い話術と間、ポンポンと飛び出る警句があってこその面白さであって、新作としての出来は「焼き直し」という印象でしかない。
やるにもやれないネタであろう。やるなら「くっしゃみ講釈」を覚えたほうがよほど財産になるというものである。
[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”lime”]
コメント