春日井一門の始祖・春日井松之助

浪曲を彩った人々

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春日井一門の始祖・春日井松之助

 人 物

 春日井かすがい 松之助まつのすけ
 ・本 名 春日井松之助?
 ・生没年 1830年代?~1900年代?
 ・出身地 千葉県

 来 歴

 春日井松之助は浪花節黎明期に活躍した浪花節の芸人。デロレン祭文・浮かれ節からスタートし、独自のネタと節を練り上げ、浪花節黎明期の一枚看板となった。浪花亭駒吉と手を組んで、今日の日本浪曲協会の前身「浪花節組合」を作った功績もある。

 浪花亭駒吉(1842年生れ)よりも先輩だった事を考えるともっと年寄りだった事だろう。本名・生年等謎があるが、息子が「春日井留吉」という名前だった所を考えると、「春日井松之助」が本名だった可能性は高い。少なくとも「春日井」という名前だったのは間違いない。

 祭文語りの桜川倉吉の弟子で、幕末に入門。元々は祭文語りをやっていた。

 しかし、これまでの祭文、浮かれ節の芸風にはあきたらず、独自の節と話術を練り上げた。これらの節や話芸は関東節の源流となった。

 あまり声はよくなかったそうであるが、祭文時代に築いたきっかりとした話術と芝居がかった味わいが面白く、客を手玉に取る芸の力を持っていたという。『岩見重太郎』『関取千両幟』といった古典を得意とした。

 1874年、麻布の「福井亭」に出勤。寄席出演の嚆矢となった。その後も青木勝之助、浪花亭駒吉などと共に寄席進出に力を注ぎ、明治20年代には既に浪曲寄席は10軒以上並ぶこととなった。

 1879年、浪花亭駒吉、八木亭清歌などと手を組んで、「東京浪花節組合」を創設。周りに推されて頭取に就任している。

 1881年、倅の留吉が誕生。この子は二代目松之助を襲名し、父の後目を継いだ。

 この頃、落語界隈や講談界隈との対立の仲裁に走ったり、春日井派の育成に力を注いだり――と初期浪曲界に大きな影響を与えた。

 一時期は駒吉率いる浪花亭や鼈甲斎虎丸率いるよりも鼈甲斎よりも勢力を誇った――というのだから、その勢力の凄さがうかがえる。春日井松月、春日井文之助、春日井若之助――など、皆彼らの弟子である。

 1890年代に浪花亭駒吉に頭取の職を譲り渡したそうで、その後は隠居的な存在として浪花節の隆盛を見守った。

 高齢になっても舞台に立っていたそうで、枯淡の味を見せていたという。『痴遊雑誌』(1936年3月号)の『浪花節漫談』の中に――

浪花節最初の頭取春日井松之助も、晚年駒吉の前講に出て居たものを一二度聴いた。是れ亦前六十を越した老人のことしてもう路の張りがなく、所謂タンカなる言葉も、東一程うまいとは思はなかった。しかし若盛りには一かどの人氣者だつたさうで門下に一時雲右衛門が師と仰いだ初代文之助、文枝、文生其の他多くの真打を輩出して居る。

 1907年に出された『新公論』(2月1日号)では、「故春日井松之助」とあるため、それ以前には没した模様。

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