声帯模写の松井錦声

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声帯模写の松井錦声

 人 物

 松井まつい 錦声きんせい
 ・本 名 松井 輝清
 ・生没年 1928年7月23日~1990年7月23日
 ・出身地 東京都 中野区

 来 歴

 松井錦声は戦後活躍した声帯模写の名人。長らく鏡屋を営みながら、声帯模写の腕を磨き、プロから認められたという珍しい経歴の持ち主であった。

 出身は中野区。大体の経歴は上の画像にある通りである。上の画像は『マムシプロ』の宣伝資料。

 家は鏡製造業だったらしく、親も兄弟もみんな芸事大好きという陽気な一族だったという。

 学校卒業後、家業に従事し、鏡職人になった。この道では相当の専門家だったらしく、後に会社の社長にまでなっている。

 1948年、仕事の合間をぬってでた「NHKのど自慢コンクール」に合格。本選にも出場したという。

 その後は鏡職人の傍らで、慰問会や老人ホーム・刑務所慰問などで腕を磨いたほか、のど自慢大会やアマチュアコンクールに出演し、「のど自慢荒し」としておそれられた。

 1954年、文化放送「素人ものまねコンクール」で最優秀賞受賞。

 1963年、テレビ朝日の「十人抜きのど自慢」で第一号チャンピオンに選出される。

 物まねの幅は広く、吉田茂、田中角栄、徳田球一といった政治家の大物から、古今亭志ん生、桂文楽といった落語家、広沢虎造や三門博といった浪曲師、映画俳優に歌手、果ては邑井貞吉、神田松鯉、一龍齋貞山といったマイナーな講談師まで真似る事が出来た。

 メディアでの活躍がプロ界隈でも知られるようになり、立川談志の強い引き立てを受けるようになった。

 1973年、『声帯模写大競演会』の吹込みに参加。多くの政治家の真似をして、関係者を驚かせた。

 キングレコードの「声帯模写全集」とは1973年に出された『声帯模写大競演』の事。下のサイトにレコードの写真が出ている。こちらも1975年になっている。

 このレコード吹込みをきっかけにプロ入り。談志の紹介で「マムシプロ」に入会した。

 1976年3月11日、第85回「立川談志ひとり会」に出演。声帯模写で大勢の客を満足させた。

 その後は談志の公演に出演する傍ら、ボーイズバラエティ協会に入会し、色物系の公演にも出場した。

 鏡職人という商売人の強味のおかげか、単なる公演に甘んじず、地方寄席の計画や交渉などを緻密に行い、しっかりと芸人としての地盤を構築するしたたかな一面もあったという。

 寄席への出演も許され、人気を集めようとした矢先病気に倒れてしまった。

 1990年7月23日、62歳の誕生日に死去。

 1990年11月2日、国立演芸場にて「松井錦声をしのぶ会」が開催。立川談志を中心に、小野栄一、神田山陽、白山雅一、毒蝮三太夫、小島宏之などが集った。

 談志は死ぬ直前まで彼の芸を私淑し続け、『談志百席』にもその印象を記している。

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