僧侶の息子・東家燕州

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僧侶の息子・東家燕州

 人 物

 東家あずまや 燕州えんしゅう
 ・本 名 ??
 ・生没年 1902年~戦後?
 ・出身地 山梨県 甲府市

 来 歴

 東家燕州は戦前活躍した浪曲師。僧侶の息子でありながら、浪曲師になったという変わり種であった。楽燕の弟子だけあって、楽燕系のネタを得意としたという。

 経歴は、『読売新聞』(1927年12月27日号)に詳しい。概要を述べると、

 1902年、山梨県甲府市の出身。家は僧侶で、その次男であったという。幼い頃から寺の一日に合せて育ったこともあってか、礼儀正しい性格であったという。

 18歳の時、甲府の桜座で東家楽燕の舞台を見、その荘厳な芸風に感動し、入門を志願。楽燕もその意思を認めて、東京へ連れ帰った。

 7年、楽燕にみっちり仕込まれて、「東家燕州」と名付けられる。

 1927年、真打ちに昇進している。

 1927年12月27日、『肉付の面』でラジオ放送に出ている。

 1928年1月、浅草劇場の「東家楽燕一門会」で正式にお披露目をした。

 その後は楽燕一門の若手として師匠の前座として公演に出演したり、寄席に出ていたようであるが遂に大看板となる事はなかった。

 戦時中頃まで活躍が確認できるが、その後の消息は不明。

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