彫師から浪曲の大看板・吉川亭虎吉

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彫師から浪曲の大看板・吉川亭虎吉

 人 物

 ・本 名 ??
 ・生没年 ??
 ・出身地 ??

 来 歴

 吉川亭虎吉は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。謎が全体的に多いが、元々は刺青の彫師をやっており、入れ墨よりも浪曲の腕を見込まれて浪曲師になったという変わり種である。

 経歴等は不明であるが、『浪曲家の生活』によると、元は魚屋だったという。

 しかし、魚屋稼業よりも刺青の彫師に憧れ、彫師の名人と言われた猫吉の弟子になった。玉林晴朗「文身百姿」の中に、

 其の外に文身師としては元猫吉の弟子で後に彫宇之の弟子となつた「彫常」と云ふのも居た。この彫常は魚屋であつたが浪花節が上手だつたので彫宇之も「お前は文身師になるよりも浪花節語りになれ」と勧めたので、遂に文身師を中途で断念し浪花節語りとなり、後に出世して吉川亭虎吉と云ふ立派な浪花節語りとなつたが此の人も既に没してしまった。

 という一節がある。

 明治30年代に中京で活躍していた吉川虎丸に弟子入り。修業を重ねて、吉川亭虎吉という形で独立する。

 明治末には既に一枚看板だったらしく、『近代歌舞伎年表名古屋篇』に、

1911年3月24日~ 米本席 浪花節 吉川亭虎吉一座

 といった記載が確認できる。

 その後、上京し、東京でも披露。相応の人気を得たらしいがなぜか『芸人名簿』には名前が出ていない。

 弟子には吉川亭虎嬢がいたというが――

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