落語・緊褌一番

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緊褌一番

 選挙演説が盛んだった大正デモクラシーから昭和一桁。
 ある間抜けな男が、「演説に行く」と大言して帰ってきた。
 友人が「どうだった」とたずねると、男は自慢げに「よかった、素晴らしかった」とほめたたえる。
「ことに非常時だから緊褌一番という言葉が良かった」
 というが、友人はその意味が分からない。
「きんこんいちばん、とはなんだ?」
 と尋ねると、男は嫌な顔をして、
「そんな事も知らなければ演説の話はできない」
「お前も演説を聞いてきなさい」
 などと、日延べを宣言する始末。友人がしつこく尋ねても、
「親孝行せねば判らない」
「前世の約束事がある故」
 などと、要領を得ない。そこで友人は「ちょっと待っていろ」と、外に出て街を廻っている巡査をつかまえる。
「もし、緊褌一番とはどんな意味ですか?」
「うむ、緊褌一番とは褌を引き締めてかかれという事、即ち心を引き締めて覚悟を決めろ、という事である」
 流石、巡査とあって明朗な解答。なるほどと感心した友人が戻るや、
「緊褌一番というのはな……」
 と言おうとすると、
「おう、褌を引き締めてかかれという事だろう」
 と、こちらも明朗な答え。
「なんだ知っているなら教えてくれればよいのに。しかし、演説行くだけあって、よく物事を知っているな」
 と感心すると、かの男、

「あまり褒めるな。さっき巡査に聞いて来たばかりだ」

『読売新聞』(1934年10月12日号)

 緊褌一番とは昭和一桁から戦時中に流行った流行語である。「非常時」などと並ぶ危機感を自認させ、国家の問題を自覚せよという意味で使われていたとも。もっとも言葉自体は古く、明治時代の小説以降、普通に使われていた。今日的には「勝って兜の緒を締めよ」に近いか。

 演者は柳家金語楼。創作も同人のモノ。

 古典的なエッセンスがちりばめられているだけに、先ず先ず見て居られる。脱線がないのが金語楼作品の強味であろう。

「緊褌一番」が使われず、演説会などが盛んにおこなわれなくなった今日ではその面白さもわからないが、それでも昭和一桁の風俗や流行を知る上では貴重なサンプルになり得るのではなかろうか。

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