落語・宝石病

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宝石病

 高度経済成長期、人々は裕福になり、盛んに指輪や宝石を求めるようになった。需要があれば、値段も上がる。これに庶民たちは寒い懐と知りながら見栄を張りあった。
 ある病院の片隅に、やたらに咳をする浮浪者・間貫太郎が「体調が悪いから見てくれ」とやってくる。
 風呂にも入らず、服も変えず、髭も垢もそのままの身なりに医者は驚くが、病人と聞いて診察室に入れる。
 間貫太郎は「咳がひどい」といいながら、咳をすると、口から小石が飛び出してくる。医者は、
「綺麗な石だ。みた所真珠に似ているが」
 と、これを拾う。間は「そんなバカなことがあるか」と笑う。
 医者は「とりあえず注射で様子を見ておこう。金はまた払える時でいいよ」と、垢まみれの身体に四苦八苦しながら栄養剤を打った。間の口から出た石はお礼代わりにもらい受け、知り合いの鑑定士に見てもらう事にした。
 数日後、間は「やっぱり咳が止まらねえ」とボヤキながら、医者をたずねると、医者は上機嫌で、
「実はあの小石は二つとも真珠だった」
「パールですか」
 驚いた間貫太郎、また大きな咳をすると今度は大きなルビーが口から落ちた。更にもう一つ咳をすると、今度はサファイアが出てきた。
 医者は驚いて、「こりゃ見たことのない病だ。胃のなかで宝石が出来るのだろうか」と大真面目に考察を始める。呆れる間貫太郎がまた咳をすると、今度はダイヤモンドが出てきた。
「胆石症とは聞いたことがあるが、胃袋の中に宝石が出来るとは、これは前代未聞。胃だけに大異変(胃変)だ」
 間貫太郎の恐るべき症状を目の当たりにした医者は、これをレポートにして学会で発表すると凄まじいセンセーションを巻き起こした。この病は「宝石病」と名付けられ、マスコミが一斉に取り上げる事となった。
 マスコミは間貫太郎を追っかけ、スタジオや取材を試みる。間貫太郎の方は相変わらずブラブラしている。宝石病になったわけを聞かれても
「毎日ブラブラしているだけだ」
「食っているものは残飯に落ちているものだ。毛虫とか壁土なんかも食った」
 という始末。しかし、当の貫太郎は気楽なもんで、出てきた宝石の金は一切受け取らず、みな孤児院や福祉施設に寄付していた。当人は「金があると狙われる。なら気楽な方がいい」と笑いながら、また宝石を吐き出すのであった。
 かくして、間貫太郎は一躍時の人となり、彼をモデルにした人形やら作品が生まれる、更に貫太郎の傍に屈強な付人がついた。咳をするたびにバケツを用意して、宝石を受け止めるという算段である。
 吐き出した宝石が凄まじい額で取引される事を知るとなると、欲深な庶民たちが現れる。家族の中から一人でも宝石病にさせてやろうと、毛虫のから揚げやら壁土のシチュー、消し炭の甘露煮などというゲテモノを食わせる始末。
 猫が食べている猫まんまが一番上等な飯になっているというのだから洒落にならない始末である。
 亭主は「宝石病メニュー」と名付けられた飯を文句言いながら食べ終えると、今度は妻が「これからお仕事頑張っておいで」とぼろのレインコートとコモを渡してきた。
 曰く、貫太郎を見習って、浮浪者同様に地下道で寝ていないと宝石病になれないという。
 妻にけしかけられた亭主は、渋々地下道へ行く。そこにはインスタント浮浪者が多々あり、中にはでっぷり肥った社長風の男や付人を連れたニワカ浮浪者まで雑魚寝をして居る始末。
 地下道のいい所でコモをひこうとすると、男がやって来て「ショバ代をくれないと困る」という。この辺りは貫太郎がいた特別地域といい、値段は「二千円」という。
 亭主は呆れて引き返し、別のところへ行こうとすると、女の人に呼び止められる。振り返ると、近所に住む友人のセコ村夫人であった。
 セコ村はショバ代を立て替えてくれて、「宝石病になりたいものでザマス」という。
 亭主が「うちのかみさんと違って、貴方は自分からなろうとしている。雲泥の差だ」とボヤくと、セコ村夫人は「いえ、うちの亭主は昨年胃潰瘍で胃を切ってしまったので、こうして私が参りましたんザマス」と笑う。
 セコ村夫人も浮浪者同様の飯を食べ、生活をし、さらに「機密情報」として「宝石病になるには排気ガスとスモッグを胸いっぱいに吸うといい」と教えてくれる。貫太郎はそういう所で寝ていたので盛んに咳が出るようになったという。
 さらにセコ村夫人は、自前の咳だし薬なる、コショウと刻み煙草を練り込んだ丸薬を飲み込んで盛んに咳をし始める。
 すると、口から何かきらりと光るものが出てきた。
 亭主が拾い上げると、それは「サビた釘」。
「どうしてこんなものが出たんざんしょう?」
 とぼやくセコ村夫人に亭主は、

「これが本当の胃から出たサビだ」

『新作落語傑作選集』

 新作落語の大家として、演芸作家として知られた大野桂の作品。桂歌丸の師匠、桂米丸が演じた。

 皮肉な作品である。高度経済成長期の公害や大量消費時代を揶揄している点はいささか古いが、しかし、インフルエンサーマーケティング的な、ありもしない夢やデマに振り回される庶民の姿を鋭く描きとっている。

 米丸の柔和ながらもどこか鋭い話しぶりも、この手の話を痛烈な批判ではなくキチンとした笑い話として昇華する手助けになったのだろう。

 少し手を入れれば今でも十分通じる話である。むしろ演劇作品、喜劇作品としても見てみたい話ではある。

 大野桂が、米丸の芸風を見事に分析して書き上げた傑作といえよう。

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