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お百姓指南
さる大家のご隠居。立派な倅が仕送りをくれ、働き者の権助が何でもしてくれるのでやることもなくブラブラ暮らしている。
ある日、「遊んでいてはしょうがないからなにかしようと思う」と権助に告げる。
権助は「いい年してようようそこへ気がついたかね」などと嫌味を言うが「ええところに気がついた。体の丈夫なものは遊んでいてはよくない、今日様へ申し訳ない」という。
ご隠居、「しかし、私も六十過ぎだから大したこともできない」とボヤくと、権助は「そんなことはない、一つお百姓でもやったらどうだね」という。
「お百姓は体にええし、お国のためになる」
ご隠居、これに賛同してさっそく百姓へと転身するが、算盤以外持ったことのない人間ゆえ要領がわからない。
権助はまず「庭の山水を潰して畑にするべ。灯籠も筑山も埋めて松の木も取っ払う」という。
「これだけの庭をもったいない」
とご隠居がボヤくと権助は、
「広い庭を一人見たってアナタが喜ぶだけで糞の役にも立たない。それより庭を開墾すれば節米や代用食が作れる、体は丈夫になる、ムダはなかんべい」
と、反論する。権助の真面目な意見に諭されたご隠居は庭をすべて取っ払うことになる。
そこでまず、権助に指摘されて「そんな服装ではダメだー」と、モンペを着せられる。 「こんな汚いものを」とぼやくご隠居に、
「それくらい着なきゃ駄目だ。代わりに俺が旦那様のを着て用事を言いつける」
などと軽口を叩く。
「あべこべだよ。しかし、この服ではどもならん。前に女中が着ていたモンペがあったからそいつを着よう」
と、家から持ち出してきたモンペでなんとかサマになる。
ご隠居、庭に降り立ったがなんか変なものを踏んで驚く。それは赤蛙であった。驚く隠居に権助は笑い、
「赤蛙は食べられるんでがすよ」
と、蛇でもイナゴでも蛙でも代用食になることを話し、代用食を大切にすることがお国のためだと論じる。
そして二人は石灯籠を取り出し、畑作りを始める。
「石灯籠はどうするか」
「石灯籠の案山子でもこしらえべえ」
そうして二人はなんとか形ばかりの畑をこさえ、種をまく段になる。
「何をまこうか」
「この間もらってきた大豆があるから、それをまくべえ」
「豆腐にする豆か」
「豆腐だけでねえ、大豆は何にでもなるんだ」
と、また権助は代用食談義をはじめる。
さて、まく段になって、権助は「種をまく前にひとまず座敷に上がってもんぺをぬぐべえ」
と変なことを言う。
「一服するのか?」
「まだ始めたばかりじゃねえか。一服するなんて怠けちゃだめだよ。これから種をまくんだよ」
「でもお前、座敷へ上がってモンペを脱ごうと言ったじゃないか」
「種をまくにはそうせねばだめだあよ」
「どういうわけだ?」
「旦那様、耳を貸なせえ」
「なんだ」
「モンペで種まきゃな」
「うん」「カラスがほじくる」
『昭和落語名作選集』参考
戦時中に演じられた、いわゆる「国策落語」というやつである。
演者は意外や意外、あの完璧主義として謳われ、徹底的にネタを磨き上げたという、桂文楽である。
一応やったようではあるが、当然文楽の本意にある所ではなく、敗戦と共にボツネタとなった。当然である。
内容としては古風な権助とご隠居の掛け合いを基盤にしている。誰か作家でもいたのだろうか、それ相応には見ていられる。
しかし、権助がやたら合理的なことをべらべら話しまくる姿を見ると、昨今のコスパ主義の人間を思い出すのである。
これ、令和に持ち込んで、社長とコンサルかなにかして、知ったかぶりのコンサルが、
「庭を拵えてもコスパの無駄ですよ、それよりもガーデンを設置することで、食料確保が可能になりますし、体を動かして汗をかくことで、ヘルスケアやメンタルコントロールのリターンがあります」
とかまくし立てたら、それはそれで面白いと思うんだが――
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