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ニコニコ浪曲の一風亭柳雪
人 物
一風亭 柳雪
・本 名 大部 由太郎
・生没年 1897年1月~1950年代?
・出身地 大阪?
来 歴
一風亭柳雪は戦前活躍した浪曲師。滑稽物を得意とし、関西浪曲界で独自の地位を築いた。妻は「一風亭今子」という曲師で、この人の門下から今若こと藤信初子が出た。この初子から「一風亭初月」が出ている。
師匠は一風亭虎山という人物。この人は京山や吉田に属さない一匹狼だったらしい――が、詳細は不明。
経歴は『東西浪界写真名鑑』に詳しい。
本 名 大府由太郎
生年月日 明治三十年一月
師 匠 一風亭虎山
初入門年月 大正元年三月
藝(十八番)大塩平八郎、小金井小次郎
趣 味 文芸、狩猟
初 舞 台 天満国光席ニコニコ浪曲の総本山である師は親友派最高幹部として、常に浪曲改革に努力なし、滑稽物の他に、小金井小次郎、大塩の義心などに得意の舌調を振ひ、今や関西浪壇の異色ある重鎮として各地至る所、絶賛を博しつつある名称である。
早くから大阪の天満国光席や浪花節小屋で芸を磨き、
1929年7月、オリエントレコードより『水戸黄門漫遊記』を吹きこみ。
1932年7月、ショーワレコードから『桜川五郎蔵』を吹き込み。
1932年12月15日、JOAK「浪花節の午後」に出演し「氏郷とその家来」を口演している。当日のラジオ欄(『読売新聞』より)に、
◇一風亭柳雪……親友派の中堅金襖物、武勇物、侠客物、人情物とゆくところ可ならざるはなく深刻的な味のある芸風の持主、BKは今回が二回目の放送である十八番ものに吃の又平、大塩捕物帳等がある
1930年代の番付を見ると前頭や関脇など幹部の地位にいる。上に「寛永三馬術」「浮世の裏表」と題されているのがあるが、こういうネタを得意としたのだろう。
1950年初頭まで見られるが1953年頃の番付などからいなくなってしまう。夭折した模様か。
妻は一風亭今子として、戦後の浪曲界の荒波を乗り切り、藤信初子という優秀な弟子を残して夫の後を追ったと聞く。
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