落語・こじつけ

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こじつけ

 ある男、近所で先生と呼ばれる老人の家を訪ねて、問答三昧。
「先生、ご無沙汰いたしました」
「どうだい、世の中が難しくなってきてモノを知らないと人に馬鹿にされるぞ」
「先生は何でもご存じなんで」
「ああ、大概のことは知っているよ」
 先生大変な自信家である。
「どうして茶碗は茶碗というんです」
「茶を飲む椀だから、茶碗。さらに木でこさえているから椀だ」
「なるほど、ではワラジはなんでワラジなんです」
「藁が地べたにくっつくからワラジだ」
「クツはなんで靴というのです」
「履くとクツクツいうからクツさ」
 当然、いい加減な答えであるが、男も男で感心して聞いている。
「テーブルはどうしてテーブルというんですか」
「あれは年寄りが使うものだからだ」
「それはどうして」
「年寄りは手が震える、モノを書くときなどに手が震えないようにするために使うわけだ」
「なんです」
「手えブルブル、すなわちテーブルだ」
「ハンケチというのは」
「日本で言えば紙、日本人は昔から紙を使ってきたな、紙は使い捨てだ、でもハンケチは何でも使う。つまりハンケチってのは、半分ケチな料簡から来ているんだ。これすなわち半分ケチ、ハンケチ」
「シャッポってのはなんでです」
「シャッポはもともと外国のものだ。外国では会社へ行くときにシャッポをかぶり、一日働いて家に帰ってシャッポを脱ぐ。一日被っていると頭から湯気が出る。会社に行って頭が湯気がポーと出る、すなわち社ッポー、シャッポだ」
「じゃあサボタージュってのは」
「あれは憎いもんだ。あれはモノを放り出して寝ちまうことなんだが、例えば魚屋の店にタイなどが並べてある、あれは前に取ったのを今取ったようにみせかけて置いておく、アジやサバは二百三びゃくと船底に寝かせておくね、そ奴を山にして売っても儲からない、だからサバタージだ。」
「では難しい事を伺いますが、オリンピックってのは何です」
「あれは国と国とがやる競技だが、昔ローマに始まったもので、その頃はかけっこばかりしていた。足の速い奴が勇士とされていたが、そのローマにオリント姫というお姫様がいてな、競技に勝った勇士を婿にしようって事になったんだが、いざ競技になると三人が同点でいつまでも勝負が決まらなかった。これではだれか二人が必ず失恋してしまい、約束を破る事となる。哀しんだオリント姫は勇士たちに詫びる気持ちで頭を丸めて比丘尼になったんだ。」
「ええ?」
「これだから、オリン比丘、オリンピックだ。」
「どうも変だね」
「それで姫は百年も二百年も生きたそうだ」
「本当ですかい」

「本当とも。それでこそ本当のハナシだ」

『読売新聞』(1934年2月9日号)

 柳家三語楼が演じた古典の改作というべき話である。1934年当時盛り上がっていたオリンピック(※ベルリンオリンピックのこと)をたくみに取り入れている。

 元々は柳家一門などに伝わっていた滑稽噺「浮世根問」「魚根問」といった無知な男と知ったかぶりの御隠居がトンチンカンな問答を繰り広げるというものである。

 これを改作したとみてもいいだろう。

 英語を得意とした柳家三語楼は、明治末から英語を駆使したナンセンス落語を演じ、一躍人気の頂点に達したが、この時には既に人気も落ち、かつてのような覇気もなくなっていた。

 そんな全盛時代を偲ばせるネタといえばネタであるが、60過ぎて耄碌し始めている三語楼が古くなった英語のネタを演じてみせているのに客はどう思った事であろうか。

 原作が優れているだけにまあまあ読めるが、「ハンケチ」「シャッポ」「比丘尼」などはもう通じない。再演は無理だろう。

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