浪曲ブラブラ

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肺病で夭折した吉川花蝶

「肺病で夭折した吉川花蝶 - 浪曲を彩った人々」吉川花蝶は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。実直な芸風と美声で売り出し、一時は浪花節の次世代の星と期待されたが肺病に倒れ、わずか29歳の若さで倒れて夭折を遂げた。
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情死し損ねた浪花亭綱子

「情死し損ねた浪花亭綱子 - 浪曲を彩った人々」浪花亭綱子は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。浪曲の芸や人気よりも「好きな人と結婚できないのを恨んで心中未遂を起こした」という一点で浪曲史に名を残す特異な存在である。
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織物問屋の社長となった一府亭南昇

「織物問屋の社長となった一府亭南昇 - 浪曲を彩った人々」一府亭南昇は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。元々は行商人であったが浪曲師に転向し、30年近くその道で食ったのち、稼いだお金で織物問屋を開いて成功をおさめたという珍しい人物である。
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二代目雲月になり損ねた天中軒宝月

「二代目雲月になり損ねた天中軒宝月 - 浪曲を彩った人々」天中軒宝月は戦前戦後活躍した浪曲師。初代天中軒雲月の門下生として出発し、数年で一本立ち。師匠が倒れた後、「二代目雲月」を自称して売り出しにかけたが、姉弟子の雲月嬢との二代目襲名戦争に敗れ、九州に戻った。
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浅川三八の養子・広沢虎月

「浅川三八の養子・広沢虎月 - 浪曲を彩った人々」広沢虎月は戦前活躍した浪曲師。元々は浅川三八の養子「浅川登久丸」という御曹司であったが、思う所あって広沢虎吉門下に移り、「広沢虎月」と改名。京山福造、広沢菊水と共に三羽烏として売り出した。
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幇間になった敷島武蔵

「幇間になった敷島武蔵 - 浪曲を彩った人々」敷島武蔵は戦前活躍した浪曲師。元々敷島大蔵門下の浪曲師であったが、浪曲よりも雑芸がうまく、周りの勧めで幇間に転向。「桜川和孝」と名乗り、浅草随一の売れっ子として幇間60年以上の生活を送った。戦後まで活躍した。
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播磨家から鼈甲斎へ・鼈甲斎左虎丸

「播磨家から鼈甲斎へ・鼈甲斎左虎丸 - 浪曲を彩った人々」鼈甲斎左虎丸は戦前活躍した浪曲師。元々は播磨家浪右衛門という人の浪曲師の弟子で、師匠の名跡「二代目浪右衛門」として活動していたが、思う所あって鼈甲斎虎丸門下へ移籍し、「鼈甲斎左虎丸」と改名した。
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浪曲物真似吹込み・鼈甲斎雲龍

「浪曲物真似吹込み・鼈甲斎雲龍 - 浪曲を彩った人々」鼈甲斎雲龍は戦前活躍した浪曲師。浪曲よりも浪曲物真似がうまく、レコード黎明期に浪曲物真似で食っていたという意外な余技があった。浪曲協会の名事務長と呼ばれた林伯猿は彼の弟子である。
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江戸以来の名門・都京徳(三代目)

三代目都京徳は浪花節黎明期~大正期に活躍した浪曲師。土佐の日本画家・思想家の河田小龍の弟子からスタートし、骨董商を経て浪曲師になった変わり種。江戸以来の都京徳の大名跡を継いだが、夭折したらしい。
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楽燕門下きっての海外通・東家燕遊

「楽燕門下きっての海外通・東家燕遊 - 浪曲を彩った人々」東家燕遊は戦前活躍した浪曲師。東家楽燕の門弟で、24歳で渡米。そこから数年にわたってアメリカ社会に半移住し、同地の名物芸人として活躍をすることとなる。