情死し損ねた浪花亭綱子

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情死し損ねた浪花亭綱子

 人 物

 浪花亭なにわてい 綱子つなこ
 ・本 名 小林 藤吉
 ・生没年 1886年~?
 ・出身地 ??

 来 歴

 浪花亭綱子は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。浪曲の芸や人気よりも「好きな人と結婚できないのを恨んで心中未遂を起こした」という一点で浪曲史に名を残す特異な存在である。

 師匠は浪花亭綱吉――系譜的には浪花亭駒吉の孫弟子に当り、出自は悪いものではなかったようである。

 10代から芸の修業を重ね、師匠から「綱子」と名前を貰ったあたりを見ると期待をされていたのだろう。名人上手の名をほしいままにした一心亭辰雄は駒吉から駒子の名前を貰っている事から考えても、師匠の名前に「子」を着けてもらうのは名誉だったと思われるのである。

 その中で曲師をしていた今村ハナ(木村京子)とデキてしまい、相思相愛の仲になる。彼女との結婚をすべく、ハナの父・今村七兵衛に結婚を談判するもすげなく断られてしまった。

 その後も綱子は「廃業して堅気になる」とまで宣言して交渉に行ったが駄目。何度繰返しても許してもらえぬ結婚に二人は悲観し、心中を約束する。

 1910年3月30日の夜、荏原郡羽田村の海老取川で心中――したのはよかったが引き潮で死にきれず、濡れ鼠で救い出された。

 その経緯が『東京朝日新聞』(1910年4月1日号)に「浪花節語の情死 干潮で助かる」として出て居る。

 昨午前一時頃荏原郡六郷領羽田村鈴木新田なる海老取川の岸に全身濡鼠の如くになりたる男女が密々話し合ふ様子を折柄巡行の同村駐在巡査が認めて品川署へ連来り段段取調べしに男は浪花節語の浪花亭綱子事府下淀橋町小林藤吉(二十四)女は本所区亀沢町一の二六今村七兵衛長女お花(二十一)とて綱子の三味線弾なり此両人昨年十月来各所の寄席を打廻る中怪しき間となり綱子より七兵衛へお花を女房に呉れと申込みしも承諾せず此上は両人堅気となり改めて七兵衛へ許しを得んと両人ながら藝人を廃業して諸所泊り歩きしが到底堅気となって暮らせる見込もなく随つて夫婦になれまいと失望し一昨夜は羽田の信田館へ投宿し相談の上寧そ情死を遂げんと決心して同夜十二時過密に同館を抜出して両人一緒に紐にて身体を結付け抱き合ひて海老取川へ飛込みしも丁度干潮にて水浅かりし為め藻掻き廻る中死ぬのが厭になり夫れでは陸へ逆戻りだと其儘這上りて是から死んだ気になって稼ぐべしと又々相談の所を巡査に認められし次第なりと当人妙な節をつけて弁じ述べたれば厚く後来を戒められ恐れ入って引返ったは浪花節にも嵌らぬ不器量なり

 この心中に懲りたのか、はたまた体を悪くしたのか、綱子は間もなく番付や番組表から消え、5年後(『芸人名簿』)にはどこにもいなくなってしまっている。

 一方、ハナは浪曲三味線を継続し、「木村京子」の名前で大御所を相手に三味線を演奏し続けたという。

 好いた男が廃業し、好かれた女が後々まで残るとはいささかの皮肉を感じられなくもない。

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