落語・必勝の春

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必勝の春

 太平洋戦争中、必勝が信じられていたころの話である。
 鈴木さんの家に友人がやって来て、出征した息子の次郎の様子を尋ねる。
「鈴木さん、お宅の次郎さんから何かお便りがありますか」
 鈴木さんは鼻高々に、「第一線で盛んに戦っているらしいですが、弾丸一つも当たりません。それに自分の子供を褒めて恐れ入りますが、この間も前線から、『これで債券でも買っておくれ』と金をよこしました。早速弾丸切手を買ってみたら、その弾丸切手のくじが当たりましてね」
「そういえば、私も此の間当たりましたよ」
「弾丸切手ですか」
「いいえ、河豚です」
「ふぐはいけませんな。時にお宅のお孫さんは少年飛行兵に志願したそうですが結果はどうでした」
「残念ながら目方が五キロ足りないものではねられました。でも当人は至って元気でまた三月に試験を受けるつもりでおります。その間に五キロ増やすだのといって、いや喰うの喰わないの、私たちの三倍は食べます。この間も田舎の親戚から山鳥を二羽貰いましたが、一人でぺろりと食べてしまいました」
「一人でですか」
「そうです」
「冗談でしょう、いくら大食いだからって、十六、七歳の子供が山鳥二羽をいっぺんに平らげられるものですか」
「それが平らげて言い訳があるんです」
「どうしてです」

「孫は荒鷲志願ですからね」

『都新聞』(1944年1月5日号)

 五代目古今亭今輔が演じたという国策落語の一つ。小噺のような話である。今では演じられない落語の部類であろう。

 内容はこれと言っていう事はない。日本軍賛美と非常時の生活を奨励している、国策落語のサンプルのようなものである。

 オチの「荒鷲」は、日本軍が誇った飛行兵の荒鷲隊をかけたもの。

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