落語・紙芝居

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紙芝居

 紙芝居全盛であった大正末期~戦前の頃。
 今のアニメや漫画と同じように、教育や警視庁とタイアップして、子供たちの思想形成や指導のためにこれを利用することが多かった。
 一方、子供たちのアイドル的娯楽としても君臨していた。多くの紙芝居の関係者は、ある親方のところから紙芝居を借り受けて、決められた場所で口演をして、その上りの一部を収入としていた。
 さる間抜けな男、親分の元に紙芝居を借りに来る。
「親方こんちは」
「昨日はどうだった」
「おかげでおまんまが食えました」
「そうか。昨日は何を持って行った」
「トウタロウって話ですが、親方こりゃ、なんです。日本の話ですか、それとも外国の話ですか?」
「トウタロウ……馬鹿だな、こりゃ桃太郎だろ絵を見たらわかるだろ」
「親方が絵を見るなというから、印の付いている所ばかり見ていたんで……」
「そうか。ありゃ日本の話だよ。お前は如何せん字を読むのが苦手だから教えてやろう」
 と、親方は男の前で桃太郎のあらすじを聞かせる。しかし、親方もろくろく字を知らないために「せきせき(昔々)、ある所におじいさんとおばあさんがいました。おじいさんはサン(山)へ行き、お婆さんはセン(川)で洗濯に……」と嘘を教える始末。
 しかし、字を知らない同士、男は何食わぬ顔でそれを鵜呑みにして覚えてしまう。
 何とか覚え込んで意気揚々と職場へ向かったが、間抜けな男の事、親方の家から持ち出した紙芝居は何と「カチカチ山」。
 それに気が付かず、子供たちを集めようとすると、マセガキたちが、
「おじさん、こうして毎日紙芝居をしているのは失業したからだろう」
「おじさんでもハウスに帰るとワイフが待っているんだろう」
 と、横文字や鋭い視線で批評をしてくる始末である。
 何とか子供を集めた男、アメを売って紙芝居を始める。
「桃太郎のはじまり、はじまり」
 と、いったのはいいが、めくるものめくるものすべてがカチカチ山である。
「トウタロウがサン(山)を越えていくと一匹のケン(犬)に逢いました」
 これには子供たちも呆れて、
「おじさん、そんなもの書いてないよ。お婆さんが餅をついている上で狸が縛られているよ」
 と、クレームをつけるが、男は熱演のまっさいちゅう、
「いよいよ、トウタロウが進んでいくと向こうからエン(猿)がやってくる」
 と聞く耳を持たない。しかし、出てくる絵は全てカチカチ山である。
「違う違う、今度はウサギがおじいさんを慰めているよ。おじさんさっきから違うことばかり言っているが気でも違ったのかい?」
 と言われた男、ハッと我に戻り、紙芝居の絵を見るや、

「いいや、絵が違った」

『読売新聞』(1932年8月22日号)

 桂小文治が演じた新作。昭和恐慌による失業者が続々と紙芝居屋になった当時の事情と、紙芝居人気を巧みに織り込んでいる。

 小文治の新作にしては佳作の部類であり、これは素直に面白いと思う。親方も紙芝居屋もことごとく無学で、近代教育を受けている子供の方がモノを知っているという点も当時の世相を見事に反映しているといえよう。

 オチがいささか危ないが、巻き直せば普通にやれるネタだと考えている。

 これに近いのが、かつてアンジャッシュがやっていた「お遊戯会の桃太郎」というコント。あれもお面や発言を間違えてめちゃくちゃにするというものだったが、それの原型を見るようである。

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