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金釣り
おじさんの家に間抜けな喜六がやってくる。
「こんちは」
「喜ィ公か、どないしたい、大変よろしいな」
「へえ、あて、今年は新時代やろ。よって一つ、新しい商売を始めたんね」
と、叔父さんに対して、「夕刊売」をはじめたというが、頓珍漢な事ばかり言うので、叔父さんに呆れられる。
「実は楊枝売りもしましたんや」
と、その商売法を話すが、余りにも気が遠くなるようなコマコマした商売なので、
「そんなのでは風呂も入れんやろ」
と、叔父さんに叱られる。
「おっさん、待ちなはれ、それがな、風呂へはちゃんと入ります。一日目は体半分だけでまけてもらい、あくる日はその上半分……」
と、余計な事を言うので、「アホ」とまた叱られる。
「こんなんどうですがな。外国人専門の車屋」
「外国人は増えとるさかい。しかし、どう客を取るんや」
「実は……」
と、喜六は日本語交じりの英語をまくしたてまくる。
「外国人が来よって、アイ・アム・ゴーイング・ツウ・ニッポン・バンク――と言うたさかい、オーライ・オーライいうてな、馬肉屋さんに行ったんや」
「馬肉屋。どない」
「ニッポン・バニクいうてな」
と、いう調子である。
おじさんは喜六の能天気ぶりに呆れ、「わいが一ついい仕事を教えたる」と、奥から釣竿を持ってきた。
「釣竿ですがな」
「これが商売のタネや。糸の先に一円紙幣をつけてな、金持ちの会の窓から投げ込むんや。それをうまい言い訳にしてな、相手から金を釣り込む。これ即ち金釣り」
と、講釈する。いい事を聞いた喜六、おじさんの話もそこそこに家を飛び出し、さっそくさる大店の前で金釣りをはじめた。
そこへ番頭がやってくる。悪い奴があったもので、一円札を見つけるや、辺りを見渡して、そのままネコババしてしまった。
アホの喜六は待てど暮らせど反応がなく、怒って竿をあげると一円札がなくなっている。「しまった。餌を取り腐った」
『読売新聞』(1931年1月6日号)
古典落語的な扱いとして、関西の笑福亭松鶴や笑福亭生寿、桂團朝などがやっていた記録が残っている。
松鶴の古風な型は『上方落語メモ集』に速記が出ている。
元は小咄から膨らませたような噺だったような。
『商売根問』の如く、喜六のアホな発想が笑いのタネだったのだろう。
そこに変なハイカラさをつけて演じたのが、桂小文治。『金釣り』と言っているが、オチ以外別の噺になり果てている。夕刊や車など、近代的な概念が出ているが、松鶴の古風な型と比べてやたらに古臭く見えるのは、改作の宿命だろうか。
しかし、「ニッポンバニクー」はちょっとおかしい。
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