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素人洋食
明治時代、小川町に今田久平という人がいた。本来は「ヒサヒラ」と読むが、余りにも旧弊な頑固さから「キュウヘイ(旧弊)」とあだ名されていた。
徳川時代、相当の役職を勤めあげた上に、持っていた土地が高く売れた。こうした身代もあった事から旧弊な態度に拍車をかけた。
旧弊っぷりは有名で、明治時代の中頃になっても大髷を結い、帷子と紋所を染め上げた御紋付に稽古着、鉄扇を構えている、というどこぞの道場主のような姿。当人は「武士の魂を生涯忘れない」と、威張っていた。
そんな久平であったが、余りにも世の中から後ろ指を指されるのに嫌気を指して、出かけたついでに床屋へ入り、自慢の大髷をそっくり切り落として散切り頭になった。
家族が驚いたり、喜んだりする中で、久平は、
「自分の旧弊さは頭の髷ではなく、腹の中にあった。これからは西洋風に生きようと思う。まずは三食洋食にするところから始めよう。」
と宣言する。そして、「一ついい機会だから普段私のことを旧弊とバカにしていた長屋連中を呼んで、洋食でも食わせようじゃないか」と提案する。
妻女が「職人でも呼びますか」というと、「いや、私がやる。この間、洋食調理法という本を買ってきて調べた。これを実践しよう」。
久平は「まずはフライを出そう。魚を油で揚げるそうだ。油は何でもいい。魚油でもごま油でもしもやけの油でもみんな入れてしまえ。肉も食わせなきゃダナ、犬でも猫でも安い肉を買って来い。権助の腫物を切ったかかとの肉なぞはおつだろう。それに、小間物屋を呼んで、洋服の座敷をこさえてもらおう」
とんだ西洋かぶれがあったもので、家人はこれを買い求め、長屋連中に声をかけた。驚いたのは長屋の連中で、
「オイ聞いたか、今田さんの所で洋食食わせるから六時きっかりに参上せよといってきたぜ」
などと、噂をし合っている。
「何分、洋食は色々と作法がうるさいそうで、難しいそうじゃないか」
貧乏長屋の連中が心配していると、長屋一の博識を自称する喜六が「私は洋食作法の本を持っている。これを実践すれば恥をかく事はない」と、皆に講釈をはじめる事になった。
「テーブルの下に手を入れて手袋を静かに取る……何か手にハメるものをしていかないと失礼になりますな」
「じゃあ私は刺子の手袋があるからそれをしていこう」
薪屋の親方は、
「私は倅が剣術をやっているから、その剣術の小手を借りていこう」
ノリ屋のばあさんは、
「あたしゃ孫の股引をはめていこう」
と大変な始末。さらに「挨拶する時、お辞儀の代わりに手を頭をこう挙げてやるのが礼儀だそうだ……まあこの先は皆さん私の真似をしてください」
とんだ洋食作法があったもので、一同喜んで久平の家にやってくる。
久平は金をかけただけあってか、立派な洋室が仕上がっていた。ノリ屋のばあさんはそれを見るなり、「御門跡様を思い出しました、南無阿弥陀仏……」とお経を唱える始末。
さてパンが出るが、皆、喜六が食べるまで食べない。喜六が「手袋脱いでお食べなさい」というと、皆一様に脱ぎ始め、大変なことになる。
続いてスープが出て、フォークとスプーン(明治時代はスポン)が並べられるが、これが何なのかわからない。
「これはなんです」
「それはフォークと言って、肉を突き刺して食べるもの」
「こちらは」
「スポーンです。匙ですな」
「ははあ、スッポン」
「スッポンじゃありません。」
スープを飲み始めるがあまり上手くはない。六兵衛さん、慣れぬスプーンに手を滑らせ床に落としてしまう。
「六兵衛さん、きょろきょろしてどうしたんです」
「いえ、スポーン落としてしまって」
「それは下女に拾わせて新しいのを持ってこさせなさい」
六兵衛は「スッポンを落とした」と言ってしまい、下女もそれを早合点。久平に、
「旦那様、スッポンが入用だ、と言われました」
「なに、スッポンが入用とは知らなかった。すぐに柳原あたりにいってスッポンを買ってきなさい」
下女はすぐさま生きたスッポンを買ってきて、座敷にこれを出す。
「おやおや、座敷にスッポンが出て来たよ。洋食は変わっている」
六兵衛さんはナイフを剃刀と勘違いして、髭を剃り始め、皮膚を切ってしまう。
「ああ、イタタ……」
「アナタ、ナイフで何をなさっているのです」
「こりゃカミソリじゃないんですか」
「これは肉を切って食べるものですよ」
「ああ、ここに軟膏があるからこれを塗りますか」
「そりゃ軟膏じゃなくて、バタです。パンにつけるものですよ」
招く方も招く方なら招かれる方も招かれる方である。ドタバタの内に食事会が終わり、一同は這う這うの体で帰ろうとする。
「いや、今日は呼び出して悪かったな」
「旦那様、洋食をいただきましてありがとうございます」
「六兵衛さん、顎から血が出ているがどうしたのか」
「へえ、ナイフで間違って切ってしまいました」
「喜六さん、お前は馬鹿に顔色が悪いが」
「ええ、皆がパンを押し付けて食べさせようとするので気分が悪くなりました」
「なるほど、気持ちが悪くなるわけですな」
「どうして」「皆さんがそろって大方お前さんをバタ(バカ)にしたわけだ……」
『円遊新落語集 』
如何にも明治時代の文明開化を描いたドタバタ落語である。初代三遊亭円遊が得意とした新作落語であるという。
当時、明治維新で西洋文化が入って来たのはいいものの、その様式や作法に戸惑うものは多かった。それを揶揄した作品や風刺画は数多い。
落語にも作法を知らず苦労する噺として「本膳」などがあるが、この作品もそうした流れを汲んで生み出されたのであろう。
内容的には甚だ時代錯誤であるが、明治時代の新しい作法に戸惑う人々を知る上では面白い。また、長屋連中の無作法ぶりもよく書けている。
三遊亭円遊という人は爆笑派の落語家だったというから、こうした長屋の連中を上手く描き出して、さぞ観客の爆笑を誘った事だろう。
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