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浮かれ節の名人・姉川好丸
人 物
・本 名 森 寅吉
・生没年 1871年12月~1920年代?
・出身地 兵庫県 三木
来 歴
姉川好丸は浪花節黎明期に活躍した浪曲師。元々は歌舞伎俳優であったが、思う所あって浪曲師に転身。主に「現代偉人伝」や「毒婦伝」といった現代的な作品を口演し、一時代を築いた。
その経歴は1913年に発行された『大日本人物誌』に詳しい。
姉川好丸 丈は大阪の浪花節講演家なり森治兵衛の長男、明治四年十二月播州美濃郡三木に生る、家代々農を業とす本名虎吉、芸号を姉川好丸と称す、十九歳大阪に出て俳優市川時三郎に就き歌舞を練習して市川卯之松と称し各地に巡業中浪花節に心を傾け去つて姉川定吉に師事す幾もなく座長の位置に進み各席に出演して好評あり其得意の読物は令女争ひ、美人犯罪等の読物なり方親友は評議員たり
当時としては珍しく中年からのスタートだったようである。
明治30年代に浪曲界に入り、間もなく大看板となった。
1913年の『大日本人物誌』に数少なく採録されている所を見ると、相当な人気はあったのだろう。そのくせよくわからない点が多い。
一応弟子もいたそうで、「姉川一門」と呼ばれる連中を率いた。姉川は大正頃まで名門であり、決して変な屋号ではない。
1917年の番付に出ている所までは確認できるが、1919年の親友派組合の幹事におらず、1924年発行の『浪花節名鑑』では、「三代目姉川好丸」として別人が紹介されている。
1920年代前半に没したとみるべきだろうか。
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