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ボロタク
戦前、円タクというタクシーが流行った。
「一円タクシー」の略で、一円(当然今と物価は違うが)を払えば東京市内どこでも一切追加料金なしで乗る事が出来るという便利なものであった。
しかし、そんな良心的なタクシーとは裏腹に、ボロボロのタクシーで暴利をむさぼるような「ボロタク」などというものも存在した。
あるボロタクの運転手、道行く男に声をかけて、
「旦那、向島まで安くしますよ。乗ってくださいな」
と、誘う。男は「車はいくらだ」と尋ねると、「千八百円」という。
「それは車の値段だろう。俺は車に乗るだけだ。乗車賃を教えろ」
「めんどくさいから旦那一声で言ってみてください」
「よし、一声といったな! ニ十銭だ!」
と運転手も運転手なら客も客である。こうして車に乗ってみたが、座席はガタガタ、硬くて尻が痛くなる。ドアは閉まらないという大変なボロタク。
「こんなの警察に見つかったらしょっぴかれるぜ」と男がボヤくと、運転手は「交番の前をあまり通らないんですよこいつは」。
「さっさと出発してくれ」
と男は言うが、今度はエンジンがかからない。運転手は外に出てハンドルを回してくれ、と男に頼む。男は「てめえの助手じゃねえんだ」とあきれると、「助手ならオイと顎先で使いますから」と返されて、渋々外に出てハンドルを回す。
汗かきながらハンドルを回し上げると、エンジンがかかった。しかし、大変なポンコツエンジンで車内がガタガタ揺れる。
男が「あー、驚いた」と飛び乗ってくると、「これくらいのことに驚くようじゃおまはん大成功はできねえ」と素知らぬ顔。
余りに揺れるので文句を言おうとすると、
「旦那、余り物を言わないようにして下せえ。先日、舌を噛んだ人がいる」
と脅してくる始末である。男は凄まじいボロタクの中で頭をぶつけたり、腰を痛めたりする。余り窮屈なので背伸びしようとすると、
「おっと、背伸びはできない。屋根が抜けちゃうよ」
と言われてびっくり仰天。
「この車はボロイの筋金入りだ。いつできた」と問うと、「一七八九年、アメリカでワシントンが初めて大統領になった翌年だな」ととんでもない発言まで出てくる始末。
そのうち、男は足のあたりに変な違和感を覚える。運転手に訴える「狂ったかな」と相変わらずマイペースな運転。
真っ青になる男に、「その細引の紐を持ちなさいよ。それが命綱だから」と平然と言い放つ。
「つい先日、この命綱を離した二人の客がこぼれちまった」
「こぼれた客はどうなった?」
「こっちは知らないよ」
そうこうして居るうちに車は猛スピードで暴走を始める。男はすっかり動転して、
「えらい車に乗っちゃった。おろしてくれ」
と頼むが、運転手は「止めてくれったって止まらねえ。おまはん生命保険に入っているか」
と言われる始末である。運転手も、
「川があったらそれっきりだ。しかしね、しかしね、時間が時間だからもう少し待ったら止まるだろう」「なにいってやがんでえ。何とか助けてもらいたい。どうして止まるんだ。機械が治るのか?」
と男が問うと、運転手は笑って、「なァに、その内自然とガソリンがなくなります」
『落語レコード八十年史』
二代目三遊亭円歌がやった新作。当時東京市内や都会にうごめいていた規律違反のタクシーに乗った悲哀を、これでもかとデフォルメ化して演じて見せている。めちゃくちゃなスラップスティックである。
どんなことが起こってもまるで気にしない運転手と、少しの事で冷や冷やし始める男の態度の対比が売り物だったそうで、円歌は大車輪で演じたという。チキチキマシン猛レースを思わせるようなものである。
戦前は特にこのネタを十八番にしており、レコードやラジオで立て続けに吹込みを行った程。その人気がうかがえる。
戦後も一応やったそうであるが、円タクの概念などがなくなったために「電話もの」と呼ばれる新作よりは演じられない可哀想な作品となった。
しかし、二代目円歌を私淑していた名古屋の雷門小福が円歌から直でこれを習っていたそうで、円歌張りのクスグリや所作で平成までやっていたというのだから驚きである。その辺のことは、弟子の登龍亭獅篭氏が漫画や随筆で書いている。
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