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西洋漫談のダンディ立川
マムシプロ掲載の広告
人 物
ダンディ 立川
・本 名 賀部 能章
・生没年 1928年5月22日~没
・出身地 東京
来 歴
ダンディ立川は戦後活躍した漫談家。立川談志の友人の一人で、談志の引き立てでデビューをした。声帯模写をやったが、根本はボードビル的であったという。
以前買った『マムシプロのタレント名簿』に経歴が出ていたので、これを引用しよう。顔写真もここから引用した。
経歴 本名 賀部能章
●昭和3年5月24日、東京・芝に生れる。●23年ごろ、玄人はだしの集団・天狗連で活動開始。40年よりボードビルの研究のため、米国に留学。●キングレコードより、松井錦声等と「声帯模写全集」を発売。●52年に立川談志とコンビを組み、東宝名人会に出演。好評を博す。●58年、スポニチに「アメリカ漫遊記」を6か月間、連載。●59年春”ダンディ・立川”改め”ダンディ・米加”で名乗りをあげる。
なお、『現代日本人名録』などを見ると、「明治大学卒」とある。結構なインテリである。
松井錦声同様、何かしらの仕事をしながら声帯模写に励んでいたようであるが、中年期に一念発起してプロ入り。アメリカで鍛え上げたボードビルをもって芸能界に飛び込んだという。
当時、アメリカのボードビルや新しい演芸を私淑し、模索していた立川談志に認められる形で談志一門に近づくようになった模様。
談志と懇意であった毒蝮三太夫率いるマムシプロに入り、志賀晶、原一平などと共に貴重な人材として重宝された。
キングレコードの「声帯模写全集」とは1973年に出された『声帯模写大競演』の事。下のサイトにレコードの写真が出ている。
snow・recordのホームページにレコードの写真が掲載されている。
談志一門会の席に時折出演し、松井錦声との掛合模写や談志とのインスタント漫才、司会漫談など手広くやった。
談志とは仲が良かったらしく、談志の小説『談志受け咄』の中で、仲間に「オーキンタマ」という下ネタ全開の唄をうたったエピソードが出て来る。
1984年にダンディ・米加と改名。理由は不明。なお、ダンディ立川の名前は、談志の友人であったジミー時田が使うようになったため(ただ積極的な名乗りではなかった模様)、ここに混乱が出てしまっている。
ただし、上のレコードや談志一門会で「声帯模写」として出ているダンディ立川は、この人物である。ジミー時田ではない。そもそもジミーが立川流の寄席に出る場合、ジミー時田で舞台に出ることが殆どであった。
その後は独立独歩でやっていたらしいが、大ブレイクにまでは至らなかった。2000年代前半まで健在だったらしいが――談志が2006年に出した『談志絶唱昭和の歌謡曲』の中に、「「松井錦声」も死んだ。「賀部」も死んだ。」とある所から、それ以前の物故か。
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