落語・官営芸者

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官営芸者

公共機関やお役所のやる仕事や経営を「公共」「公営」というが、昔は「官営」と呼ばれていた。
もし、芸者が官営で管理されるようになったらどうなるか、という一席。 
 開国以来、やっとの事で一等国となった日本は世界から「フジヤマとゲイシャガール」と目されるようになった。
 富士山は動かないのでいいが、芸者とくると生物である。昔の花魁のような芸者ならば、世界に誇れるかもしれないが、昼は田圃で野良仕事、夜に足を洗って芸者稼業なんていう凄まじいものもいる。
 国際的な観点から、「私営では芸者のむらがあり、ブランドが損なわれる」と危惧した高官たち、「素養と社交婦人としての向上」「風紀の取締も兼ねられる」を建前に、官営芸者を立ち上げる事になった。
 それで立ち上がったのが「丸の内芸者専売局」。
 あるお座敷で飲んでいる野郎二人、隣の座敷が大変な賑やかなのに気がついて、女中にその訳を聞く。
 女中いわく、「あれは今度できた専売局の官営芸者。一等から三等まであって、一等は音楽学校卒業生で価格は1時間15円、二等は古来の音楽を修行したいわゆる普通の芸者で1時間5円、三等は特筆したものはないが音曲からスポーツ、縄跳び、すべり台までやる幼稚園みたいな芸までできるもので1時間3円」。
 興味を示した二人は、
「では三等を呼んでくれ」
 しかし女中は嫌な顔をして、
「三等はおよしなさい、一等になさい」
 と止める。客も客で、
「三等で結構だ。女なんだろ?」
「女の部類に入ります」
「命の別状がないならいい。三等にしてくれ」
 と押し問答になる。女中は客の要望を飲み込むも、
「ところで旦那、実印はお持ちで?」
 実印を出すように言う。
「なんで実印が必要なんだ」
「これが芸者請求書、実印がないと規則違反で処罰されます。もっともなければ私が代印しますが」
「代印でいいなら、実印なんぞと脅かすな」
 しばらくして三等芸者が現れる。その出で立ちは水兵服服にお下げというかつての芸者では考えられない服装である。
 更に後ろから立派な服を着た男が同行してくる。
 男は野郎二人の前に立つと、
「僕は芸者専売局の職員である。芸者に敬礼!君たちの身分や前科の有無を調べるがエロ的行為は一切まかりならん。僕は隣部屋で監視しているから、国家のためにできるだけ長く遊び給え」
 と、どちらが客なのかわからぬ口調で二人を威圧し、遊び金の3円と手数料50銭を請求してくる。
 それを支払った野郎二人、やっと芸者にありつけるとやってきた芸者をまじまじ見ると大変な鳩胸にでっちり、顔も残念。それでもいないよりはマシかと思い、
「姐さんお酌を頼むよ」
 と気楽な口で頼むと、芸者は眉間にシワを寄せ、
「姐さんなんて失礼な口を利くと、私達は判任官待遇だから官吏無礼罪で告発しますわよ」
 と脅してくる。野郎二人はかしこまって、恐る恐ると酌を頼む始末。
 それでも馴れてくると意外に口が聞けるもので、
「つかぬことを伺いますが、貴方方はデパートの事務員みたいに手弁当でご出勤ですか」
などと身の上を聞く。
「いえ、全部局の寄宿舎で局長監督の下に暮らしています」
「ははあ、やはり芸者衆は宵っ張りの朝寝坊といいますが、何時に起きますな」
「昨今は午前6時に起床ラッパが鳴り響き、それを合図に跳ね起きるのです。現在は英語とダンスのお稽古をしております」
 そして、芸者は「目下非常時だから活発な軍歌でもやりましょう」などというと、
「ここはお国の何百里、離れて遠き満州の……」
 などと歌い出す始末。野郎二人は呆れて「もう少し神秘的なものを……」
と頼み込むと、
「昔々浦島は……」
と今度は童謡である。
 ますます困った二人は「なんか変わったことはありませんか?」というと、芸者は
「ではスポーツ百般のうち、スタートラインを見せましょう」
 と、着物を端折り、畳の縁をスタートラインに見立てると「ヨーイドン」の掛け声とともに走り出して何処へ行ってしまった。
 呆気にとられた二人は、隣の部屋の職員の元へ行く。
「どうだ愉快だろう」
「驚きましたな、あれでも三等芸者ですか」
「いや、あれは乱暴芸者だ」
「どっかいっちまいましたぜ」
「あれはマラソンだから、26マイル先までいったんだろう」
「いつになったら帰りましょう」
「帰るのは明日の昼時分だな」
「私達はどうなります?」

「継続金を支払って待っておれ」

『読売新聞』(1933年7月10日号)

 三遊亭円朝門下で、新作落語や文芸落語の復興に取り組んだ三遊亭圓左の作らしい。「専売芸者」「芸妓専売」などといくつかのタイトルがある。

 作家と懇意で、作家の書く落語を演じた圓左のこと、バックに誰か控えて居そうであるが、取りあえずは圓左が演じたという事になっている。

 専売は江戸時代から存在するものの、藩によってまちまちで、日本全国に通用するという権力はなかった。

 しかし、明治になるにあたり、明治政府は、まず煙草に「専売」をかけ、国税や収入の強化、取り立てを目論んだ。日清・日露戦争による出費の激増や税収の不安定さを補うために導入したようである。「大国になる」という名分を得た運動や愛国精神、さらに当時の喫煙率にうまく合致し、国費を増やす事が出来た。

 これに気をよくした政府は、塩にも専売をかけるようになる。このタバコと塩の専売は、昭和末まで引き継がれ、塩の面では負の面を残す事となった。今も「JT」がその名残をとどめるが、かつての権威はない。

 そんな専売の強引さや、滅茶苦茶さを揶揄した落語といえよう。

 本来、御旦那や客にこびへつらい、日々を送る弱い身分の芸妓が、専売によって客よりもえらくなり、客がこびへつらうようになる姿、さらに「職員」と称した男が高圧的で、全く解決策を示さずにたらいまわしにさせようとする辺りなどは、当時のお役所体質が良く出ている気がするのである。

 三遊亭圓左亡き後は、圓左門下や円歌がやっていたというが、巡り巡って三遊亭金馬がこれを受け継いだ。

 金馬の創意もあって、戦前の時代にもよく合致したそれになっているが、やはりどことなく古臭さを感じる。

 上方落語に『ぜんざい公社』という傑作があるからだろうか。『ぜんざい公社』の態度やオチの方が、優れているといえなくもない。残念ながら。

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