落語・猫いらず

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猫いらず

 兎角世の中はうまくいかないことが多い。
 中でもうまく行かないのが嫁と姑の仲である。大体、嫁と姑が不仲になるにも深い理由はなく、「なんとなく嫁が気に入らない」「お義母さんは私につらく当たるから憎く思っている」というスレ違いが、険悪となり、果ては大喧嘩になるというものである。
 ここに、さるご家庭の嫁さんがいる。結構な縁談を得て、結構な所に嫁いだ――が、そこの姑と仲が悪く、一月二月は我慢したが、三月目には我慢できなくなり、カッとなって家を飛び出してしまった。
 やってきたのが伯父さんの家、二人の事情をよく知っている伯父さんに嫁は最初から涙交じりにありったけの愚痴をこぼす。
「あそこまでひどいのなら、いっそのこと猫いらずで殺して……」
 などと、怒りと悲しみのあまりに恐ろしい事を口走り始めた。おじさんは嫁の愚痴を一通り聞き、なぐさめてあげたが、余りにも我を忘れている嫁に意見を述べ始めた。
「なるほど、お前さんの言う事も無理もない頃だ。何しろこういっちゃ悪いが、年寄りとお前さんとはまるで時世が違う。ここで考えなくちゃいけないのは、今お前さんが猫いらずで姑を殺した所で、真っ先に嫌疑がかかるのはお前さんだ。さすれば姑殺しの大罪を背負わねばならない。そうすれば自分から墓穴を掘る様なものだ」
 と、短慮を諫め、
「どうだ、ここで一年ばかりまって見なさい。どうせ先のない姑の事だ、お前さんの方から目をつぶって、まめまめしく仕えてやる。頃合いを見て、一服盛ったらどうだ。世間から見れば、お前さんは姑によく仕える嫁女という形で嫌疑の目も逸れるだろう。ここ一年の辛抱だ。一つやってみなさい」
 と、アドバイスを寄せる。これを聞いた嫁は、「なるほど一理ある」と丁重に伯父さんに礼を述べ、何食わぬ顔で家に戻った。
 さて、ここ一年の辛抱だと思うと、嫁はこれまでの姑の愚痴や嫌味が気にならなくなる。カチンときても「一年の辛抱だ」と肚に括れる。さらに、表面上の良嫁を醸し出すため、「お義母さん、肩をもみましょう、床を取りましょう、このお菜はどうですか、アラお髪が乱れてますわ」などとアリバイ工作に熱心になる。
 そして、一年という年月は瞬く間に過ぎていった。それを知った伯父さんは「一年経ったが、姪が何と言ってくるやら」と首を長くして待っていると、嫁がやってくる。
「どうだった」
 と訊ねると、嫁は意外や意外、猛省したようなそぶりで、
「昨年の私の考えはとんだ考え違いで、大きな誤りを引き起こす所でした。あれから伯父さんに言われた通り、お義母さんに仕えてますと、半月も経たぬうちにお義母さんの様子ががらりと変わり、最近は実の親子でもめったにない程可愛がってくれるようになりました。今では私がいなければ夜も明けないほどの溺愛ぶりで、あの時の事を思い出すと恐ろしく思います」
 と反省しきり。
 伯父さんはそれを聞き終えると、ひざを一つ打ち、「我が計略当たれり」と笑った。

 伯父さんの言葉で、嫁と姑が円満に取結ばれるという『猫いらず』の一席。

『読売新聞』(1931年3月6日号)

 春風亭柳昇の傑作『里帰り』とほぼ同じテーマの話。

 春風亭柳昇の「里帰り」で検索すると、「原作はフランスにあり、5代目柳亭左楽が同様の話を演じていた時期もあったと言われるが、戦後は柳昇のみが演じていた為、彼の新作とされている。」なんて出ているが、実際やっていたのである。

 キチンとラジオでやっている。左楽がそれ相応の持ちネタにしていたいい証拠である。なんで「言われる」と伝聞系なのだろうか。

 柳昇のそれと比べると、些か庭訓くさい所があり、がちがちの人情噺の趣であるが、大正から戦前にかけては、こういった淑女の誉れ的な、西洋小説を翻案したような世界観がウケたのであろう。

 如何にせん、他の左楽落語とは一線を画す面白いネタである。

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