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献金
日中戦争が深まる頃、日本国内では「千人針運動」「献金運動」など挙国一致の戦争協力体制や運動が盛んに行われるところとなった。
長屋に住む熊さんに八っつぁん、自分たちも「献金」で国に貢献せねばならないと長屋の若い衆と寄り合いを開いた。そして、大家さんを呼びに行く。
大家は何事かと思うが献金の相談と聞いて「結構なことだ」と感心し、寄り合いに参加する。
しかし、貧乏長屋の悲しさ、一同は集まったものの、
「しかしあっしらにも献金ができるのだろうか」
「金が無い」
などと情けないことばかり言う。
それを聞いた大家は、
「金の大小を言っちゃいけない。銃後の後援、その心持ちが戦地の兵隊さんに届けばいいのだ」
と、金よりも心だと説く。そして、若い者たちに、
「何も無理して献金をする必要ない。無駄を省いて倹約してつみたてたお金を献金すればいい。例えば晩酌を飲んだつもりで献金する、何々を見たつもりで献金する」
と、「何かしたつもり」で倹約して献金することを勧める。
それを聞いた若い衆は「電車に乗ったつもりで金を出します」「酒を飲んだつもりで金を出します」「空き瓶を拾って集めてこれを売って献金します」などと口々に自慢を始める。
八っつぁんは「がまぐちを拾ったのでこれを献金する」という。
大家は呆れて、「早く警察に届けな。どこで拾ったんだ」と尋ねると、「先程大家さんが入ってくるときに懐から落ちたのを拾ったんで」。これには大家もひっくり返る。
中には「子供が車に引かれて怪我をした。運転手から慰謝料をもらったんで、その一部を出します」なんてのもいる。
「おいおい、物騒だね。大体話がおかしいじゃないか」と大家は慌てると、
「へえ万が一自動車にひかれたつもりです」
などと変なことをいう。
一番すごいのは、同じ長屋の連中に「これを大家に渡しておいてくれ」と手紙をよこした。
それを大家に渡すと、大家はそれを広げる。
「なになに、用があるので寄り合いに出られないのは申し訳ない。なかなか義理堅いな。そこで献金一円いたします。偉いな、さすがだ……って後がある。なんだ、借用証 一円借用致し候ーー八五郎……ってあの野郎、私に借用して献金するというのか呆れたやつだ」
そんな長屋の馬鹿騒ぎを見ていた金坊。寄り合いの席に入り込んできたかと思うと、大家さんに声をかけて、
「おじさん、私も献金するよ」
という。大家は感心して、
「偉いな。無駄遣いもしないでお国のために献金するとは、感心なことだ。いくら献金するんだ?」
「お小遣いをためておいてね、貯金箱を開けたら五円あった。これを全部献金する」
「偉い。ますます偉いやつだ。使いたい盛りを我慢して献金する。偉いもんだ。金坊お前いくつになった」
「十五歳だよ」
「感心なことだ。それに比べてお前らはなんだ。人の懐ばかり当てにしやがって。十五やそこらの子供が使いたい盛りを我慢して献金しようとしている。これだから日本は強いんだ。お前らも見習わきゃいけねえ。これを銃後の兵隊さんが聞いたらなんと思う?どれだけ嬉しいかわからない。お前たちの前でなんだが、これが真の銃後の後援だ」
大家の感動をよそに金坊は首を振って、「いや、おじちゃん。十五の五円だよ」
『キング』(1937年10月号)
三升家小勝がやった新作。いわゆる、国策落語というやつである。
内容もクスグリも戦意高揚づくしで、逆に貴重な資料である。キワモノであるが、当時の一流雑誌『キング』と結託して、キングレコードからレコードまで発売した。今日でもそのレコードは残っており、聞くことはできるようだが、発売はできないだろう。
内容は決して優れておらず、クスグリも平凡であるが、しかし「戦争献金」への態度やありかたを知るにはなかなか鋭い作品である。
献金への是非、国策協力的な態度の是非は兎も角、こうした当時の庶民の戦争観や協力観を示したものという形では、非常に興味深い資料である。
この作品だけではないが、「国策落語の変遷」みたいな形で論文書いたら面白いと思いますよ、僕は。
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