落語・きつねマダム

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きつねマダム

 近来世の中の変わりようは大変なもので、ちょいと油断するとすぐに頭が古くなってしまう。
 特に御婦人の変わりようは目まぐるしく、昔の例えに囲み女に反り男なんて文句があるが、今日はもう男ばかり反っているような時代ではない。
 女性が社会進出をして、商店や会社や街頭にも女性がいる。
 さて、ここに夕刊売のお嬢さんがいる。パッチリした目に可愛らしい口元から「夕刊夕刊」などと売り出す声は、他の男性たちを魅了するものである。
 あるエリートサラリーマンを自負する紳士、この夕刊売のお嬢さんに一目惚れをして、夢中になってしまう。
 一計を案じた紳士は母親に相談して、この娘との縁談を取り持ってもらい、晴れて二人は夫婦になることができた。夕刊売のお嬢さんは働かずに済み、旦那や家の裕福さに感動するばかりであった。
 それだけだったらよかったが、慣れとは恐ろしいもので金持ちの生活を続けていくうちにこのお嬢さんも贅沢を覚える。
 はじめは軽いものだったのがいつしか洋服やら狐の襟巻きを欲しがるようになり、それが手に入ると今度は外に出て派手な交際や遊びを極めて、変な噂も立つようになる。
 そんな妻の変貌に困り果てた旦那、
「そう出歩いてもらっては困る。言い訳があるなら素直に言ってくれ」
 と苦言を呈せば、妻は開き直って、

「だってもともと私はゆうかん婦人ですもの」

『朝日新聞』(1934年5月15日号)

 森暁紅作、柳家三語楼口演の新作。

 かつてナンセンス落語で売れた柳家三語楼だけに相応に演じたようであるが……。

 晩年の柳家三語楼はかつての人気を取り戻すためか、柄に合わぬ人情噺を発表したり、弟子で売れっ子として君臨していた柳家金語楼の真似をして新作落語を演じていたり――嘗てのプライドや才能が徐々に萎んでいく様子が手にとってわかるようである。

 かつてナンセンス古典を中心にラジオにしょっちゅう出ていた三語楼が、キワモノのようなネタをやっている――それだけでも虚しさがある。

 一方、一部で流布する「人気も落ちて零落」というほどの零落ではなかった。少なくともラジオ出演を確保できるだけの地位と名声は、残光なりともあったのである。
 落語通の森暁紅が手掛けただけに下手な自作自演よりはよくまとまっている。

 ただ、これを今やろうというほどのネタやないですね。女性進出をうたうなど、如何にも時代遅れである。

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