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空気
世の中が進むと、変な商売が現れるものである。
「空気屋、空気屋でござい」
箱車に透明なビンを並べた男が一人、「空気屋」と声を上げながら往来を行く。
そこへ一人の男が興味をもって店の中から呼び止めて、「お前さんは何を売るんだね」と尋ねると「ヘエ、空気で」。
「ビンがたくさん並んでいるが、空気はその中に入っているのか」
「そうです。この空気は今回発明になりました、新案特許の文化品で、各ご家庭になくてはならない品でございます」
空気屋の仰々しいうたい文句に興味を覚えた男は「どんなものを売るんだ」と尋ねると、
「いろいろございますが、まずただいまでいえば、ちょっと海岸へでも遊びに行きたいと思っても暇がない方がいらっしゃいます。そんな方にはこのビンの空気ですな」
空気屋がビンを開くと、胸がすっとするような温かい空気が出てきた。
「これはなんだ」
「海岸の空気で、オゾンをたっぷり含んでおります。波の音も聞こえるでしょう」
不思議な空気に触れた男は、すっかり気分がよくなり、『不如帰』の武雄と浪子の真似をして、おかみさんから叱られる。
男は感心しながら「他にもないのか」と尋ねると、空気屋は「房州、鎌倉でも、ハワイでもパリ―、ロンドンでもございます」という。
さらに、他の瓶を開けると中から拍子木の音が聞こえ、歌舞伎芝居の一幕が聞こえてくる。男はまたもや気持ちよくなって、大向こうの真似事をする。
空気屋は笑いながら、他の空気を開けると今度は鰻の匂いがしてきた。
「これは香りをかいでいるだけで、何杯もご飯が食べられる節約の品でございまして……」といいながら、和食、洋食様々な匂いのビンを見せてくれる。
その上、「お酒の空気もございます」と熱燗から冷酒、「汁粉屋はどうです」と汁粉屋の匂いまで次から次へと出していく。
男は「なるほど面白い。ちとしんみりしたものはないかね」と尋ねると、「じゃあ病院の空気とかどうですか」。
「病院の匂いは嫌だな」
「じゃあお寺の空気は」
「ごめんだね。生きた心地がしなくなる」
「いっそ火葬場の空気でも」
「冗談言っちゃいけない」
すると空気屋は空気をひねって、あたりにまくとだんだん寒くなってきた。
「なんだねこりゃ」
「樺太の空気です」
「樺太?! そりゃ寒くてしようがない。ハックショイ」
「効き過ぎましたかな。これは夏に使うと氷いらずのものですが。じゃあ今度は温かいものを差し上げましょう」
違うビンを開くと今度はたまらない暑さである。
「こりゃなんだい」
「台湾の空気です」
「熱い、こりゃたまらんよ」
「じゃあ、最後に面白い空気を見せましょう。今日はカンカン照りですから、これを曇らせてみせましょうか。低気圧の空気を使えば訳はないです」
すると奥からおかみさんが怖い形相で、男に声をかける。
「あなた何をしているんです。いつまで空気屋さんの相手をなさっているんですか。騒がれては困ります。店の奥でしっかりしてください」
すごい剣幕に空気屋はビンをしまい始めた。
「これは打ち止めに致しましょう」
「どうして」「低気圧はそちらが本物ですから」
『読売新聞』(1926年3月21日号)
知的で品のある落語を得意とした六代目春風亭柳枝、通称「ごみ六の柳枝」が演じた新作。JOAKの注文に応じて、新作をこしらえ、スタジオの音響を巧みに使いながら演じたという。一種の前衛的落語である。
内容は、SFチックであり、今でも相応に見る事ができる。理知的な柳枝の話術も相まって、当時は最先端の落語として受け入れられたことであろう。
当時の新聞欄を見ると、「波の音はウチワを箒でなでる音」「櫓の音は酒樽の口を回した音」「カツレツをあげる音は真赤に焼いたアイロンを水に入れる音」などと、音の種明かしが付いている。本来寄席では使う事の出来ない不思議な効果音を存分に生かした点も、演芸放送黎明期の工夫がある。
今演じるには少し難しいかも知れないが、似たような発想を音源持ち込みでやれば面白いかも知れない。
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