レコードの人気者・東家楽声

レコードの人気者・東家楽声

 人 物

 東家あずまや 楽声らくせい
 ・本 名 成島 浅次郎
 ・生没年 1895年4月~1959年7月10日
 ・出身地 東京 千住

 来 歴

 東家楽声は戦前活躍した浪曲師。「楽声」と号したように大音の美声が自慢で、戦前のレコードやラジオの売れっ子であった。粋な関東節と美音で主に寄席を中心に活躍をしたという。

 経歴は『東西浪界写真名鑑』『浪曲人物史』に詳しい。

本   名 成島浅次郎
生年月日  明治廿八年四月
師   匠 東家悟樂斎
初入門年月 大正参年
藝(十八番)小猿七之助、河内山、小松嵐 
初 舞 台 浅草、キリン館

『浪曲人物史』によると、元は船大工であったが大工よりも浪曲が好きで浪曲界に飛び込んだともいう。

 師匠は二代目東家楽遊。全盛期こそ過ぎていたものの、枯淡の芸で鳴らしていた楽遊から感化を随分受けたという。

 1920年頃に独立し、「東家楽声一座」を結成。全国を巡業したほか、寄席に出演して人気を集めた。

 得意芸は師匠譲りの『祐天吉松』『河内山』『小松嵐』の他、『国定忠治』『次郎長伝』『安中草三』などの侠客物。正岡容に書いてもらったという『花井お梅』、また『爆弾三勇士』『乃木将軍』などの戦争ものも得意とした。芸域の広さは随一であったようである。

 芝清之が『浪曲人物史』の中で、「なにか訛りがあったようなに思うが、私の聴き違いであろうか」と記したせいで、訛りのある様な記載をなされているサイトもあるが、レコードを聞く限りではそうした気配は感じられない。

 レコードは30枚近く残したという。そのほとんどを日文研で聞く事ができる。粋でいなせで、哀愁があって、悪くない芸である。

 1930年3月、ポリドールより『血煙荒神山』を吹きこみ。

1930年6月、ポリドールより『忠僕直助』を吹きこみ。 

1930年12月、オリヱントレコードより『祐天吉松』を吹きこみ。同月、ポリドールより『平手造酒の最期』を吹きこみ。

 1931年2月、キングレコード『報恩美談・莨の吸殻』を吹き込み。同月、ポリドールより『日蓮上人』も吹きこんでいる。

 1931年5月、ポリドールより『國定忠次 (忠次代官斬込み)』を吹きこみ。

 1932年4月、太陽レコードより『平手造酒』を吹きこみ。同月、タイヘイレコードより『花井お梅』を吹きこみ。

 1932年5月、タイヘイレコードより『河内山宗俊』を吹きこみ。同月、太陽レコードより『肉弾三勇士』を吹きこみ。

 1932年6月、太陽レコードより『空閑少佐』を吹きこみ。

 1932年7月、パーロホンより『酔月情話』を吹きこみ。

 1932年10月、 テイチクより『河内山と三千歳』を吹きこみ。同月、タイヘイレコードより『三日月次郎吉』も吹きこみ。

 1932年12月、太陽レコードより『三千歳と直侍』、同月、日東蓄音器より『大石山鹿護送』を吹きこみ。

 1933年1月、リーガルより『佐原の喜三郎』を吹きこみ。

 1933年2月、タイヘイより『め組の喧嘩』を吹きこみ。

 1933年4月、テイチクより『幡随院長兵衛』を吹き込み。

 1934年頃、トンボレコードより『乃木将軍』『塩原太助』も吹きこんでいる。

 1935年11月、タイヘイより『男小金井(小次郎と新兵衛)』を吹きこみ。

 それ以外にもマイナーレコードから数枚吹き込みをしている。

 1930年代後半まで番付では前頭や関脇にいて、相応の地位にいることが確認できるが、1940年代に入ると「旧幹部」扱いになってしまっている。声を潰したともいう。

 敗戦と共に事実上の廃業をし、晩年は友人の林伯猿の事務所で働いて余生を送ったという。

 1959年7月没。墓は池上本門寺にあるという。

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