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在米四十年の浪曲師・京山小為


戦後、石田天海と一座した時の広告
人 物
京山 小為
・本 名 ??
・生没年 1880年代?~1948年以降
・出身地 関西?
来 歴
京山小為は戦前戦後活躍した浪曲師。大阪の京山一門の流れを汲んでいたというが、明治末にハワイへ移住し、以来太平洋戦争敗戦までの40年近い間、ハワイの日系人や関係者のために浪花節を演じていたという稀有な人物であった。
大体の経歴や流れは『邦字新聞デジタル・コレクション』が参考になった。
元々は京山の屋号の通り、関西系の浪花節だったらしい。京山恭安齊の弟子にあたるのだろうか。その辺りは不明。
1909年1月には既に布哇に来ていたらしく、『日布時事』(1月5日号)に、
▲浮れ節 一二日両夜ダンブロにて京山小為浮れ節ありしが一二日両日は室内にて豪飲又豪食にて浮れ節も左程に当らざりし由
1910年、浮かれ節芝居興行に参加。出演者は小川雛鶴、加々谷一子、中村勝美、嵐国三郎、京山小為、浪花辰丸、市川鶴子など。浮かれ節芝居とあるように本来義太夫で語る部分を浪曲で語って見せるのがミソであった。
その後は、ハワイに定住したらしく、来布してくる芸人と一座して稼いだという。また、ハワイに来る浪花節の斡旋などもしたようである。
得意ネタとしては『祐天吉松』『鬼面山』『天保水滸伝』『侠客千葉』『野晒悟助』『北條記』などといった荒々しい芸題を主に語ったという。
1912年4月、来布した日本亭吉国一座の客員として全国を回る。
1915年4月、布哇界節組合を結成。会長・副会長には仲間の廣澤呂虎・小天狗鶴雄が就任。小為は会計に就任した。初期メンバーはあまり多くなく、呂虎、鶴雄、小為、吉川小豊、日本亭吉国、浪花志満吉、吉川岩吉、吉川大吉、戸田川亀鶴がフルメンバー。その後、増減した模様。
1915年10月、『ハワイ報知』で出された「来布した浪花節番付」には前頭1枚目として取り上げられている。
1916年夏、ハワイにやって来た京山春駒一行の客員となり、ハワイ全土を巡業。
1916年冬、ハワイにやって来た廣澤菊路の一行の客員となり、ハワイ全土を巡業。
1921年、小天狗などと手を組んでハワイ全土を巡業。
その後は興行師も兼ねた芸人になったらしく、『マウイ新聞』(1924年2月4日号)に、「実直な興行師として至る所に人気のヨイ京山小為君は先月から本島バイヤ方面で浪花節を開演しつつあったが……」とある。
1926年に昭和へ改元した後も、ハワイへ残った。事実上、明治大正昭和の三つの時代を異国の地で過ごしたという計算になる。
戦時中は日系人排斥運動や日米戦争で苦しんだようであるが、何とか生き残った。滞米歴は30年以上に及んだのだからすごい。
1947年1月には、アメリカ帰りのマジシャン・石田天海、ハワイ出身の小天狗鶴次と共に、興行を打っている様子が確認できる。
最期の消息は、『ハワイタイムス』(1948年4月8日号)に、広告を載せているところ。それから間もなくして歿した模様か。
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