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無精風呂
銭湯にも色々な形がある。昔ながらの銭湯に、電気風呂にラジウム風呂、中には源泉かけ流し、蒸し風呂まである。
そんな銭湯の中で「無精風呂」とあだ名される店があった。「爆裂湯」という屋号がありながら、ここの主人は徹底的な面倒くさがりで、度の過ぎた無精から「無精風呂」と呼ばれる始末である。
のれんを出すのがおっくうだというので、汚い麻縄がぶら下がっている。親父も風呂嫌いで垢まみれで、番台で生活をして居る始末。
そこに客がやってくる。親父はやれやれ首を持ちあげると、
「誰だ、恐ろしく人相が悪いのが来たな。なんだうぬは、下駄泥棒か?」
「冗談いっちゃいけないよ」
「アー、ならミシンの借金の掛け取りか」
「いいえ、そうじゃない」
「蓄音機代なら、来月払うよ。」
「蓄音機屋でもないよ」
「洋食屋か? 晦日に来い」
「違いますよ。私はお湯に入りに来たんです」
「なら客じゃねえか。なんでえ、そんなヘイコラしやがって」
と、最初から客を客と思わぬ対応。
「ところで風呂代はいくらです?」
「てめえは長生きするよ。今どき風呂銭聞くような奴は。なんでえ五十円といえば出してくれるんか?」
「冗談言っちゃいけませんよ。風呂銭は五銭でしょう」
「わかってんなら、番台に置いて入ればいいだろう」
男は中に入って、籠を探すも何もない。
「服入れるカゴがないよ」
「石炭箱にでも入れておけ」
「石鹸はないのかい」
「流しへ落ちているのがあるだろう。それを使えよ」
「手拭貸してくださいな」
「てめえのような毛むくじゃらは、外に出てブルブル震えれば水が抜けるだろう」
と、ことごとく無精な対応を続ける始末。
男は泣く泣く服を脱ぎ、風呂へ向かおうとするがこれがまた薄暗い。
「薄暗いよ」
「気をつけろ。中には床を踏み抜いて、全治三週間負ったのがいる」
男が風呂につくと、ドラを鳴らし「無事に入湯できた」と知らせる始末。
呆れながら湯に入ろうとすると飛び上がるレベルで熱い。
「熱い、熱い」
と怒ると、親父は、
「そのくらいで音を上げるな。八百屋お七は火あぶりに、石川五右衛門は釜茹でだぞ。そのくらい我慢しろ」
と、相手にしないどころか、「熱けりゃ頭から水をかぶればいい」という。
男は風呂をかき回すと、今度はひどく冷たくなる。下の部分は全て水であった。
「こりゃ冷たい、冷たいねえ、寒い、寒い」
と震え上がる男を見て、親父は、
「ドジな野郎だ。たかが五銭で文句が多い」
と罵倒する始末。余りにも滅茶苦茶に呆れた男、
「驚いたな、こりゃ寒くてしょうがない、こりゃどうにんかなりませんか」
「そうやっているうち熱くなるよ」
「下から熱いお湯を出してくれるんですか?」「馬鹿言いやがれ! そうやったまんま夏が来るまでつかってんだ」
『落語レコード80年史』参照
演芸研究家の正岡容が執筆し、当代の人気噺家であった三代目三遊亭金馬が演じた。
このレコードはニットーレコードから出ているはずである。
流石は正岡容といった所で、無精な男を徹底的に描いており、なかなか面白い。少なくとも作家が書いている落語の中ではレベルが高い方である。
また、三遊亭金馬のメリハリのある口調も、無精な風呂屋と男の掛合を一層鮮やかにした事であろう。そういう意味でも、正岡はよく演者を見て書いている。
今日では不衛生だのなんだのと言われそうであるが、下手な新作やるよりも面白いかもしれない。無精な親父を徹底的に無精にすれば、これはこれで一つの嫌がらせ的な落語が出来上がるかもしれない。
期待値のある話である。
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