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興行師になった末廣亭小辰丸(三代目)
人 物
末廣亭 小辰丸
・本 名 ??
・生没年 1907年頃?~1962年?
・出身地 埼玉県 与野市
来 歴
末廣亭小辰丸は、戦前活躍した浪曲師。戦後は静岡に移住し、同地の顔役として信頼を得、興行師として名を残したという稀有な存在であった。
ただ、経歴的には、「関西へ行った末廣亭清風(三代目)」と似ており、同一人物の可能性がある。誰かご存じないだろうか。
同地の資料誌「小山町史」に、「興行師小辰丸」という項目がある。
明治四〇年頃に現在の埼玉県与野市の魚屋の二男坊に生まれ、東京に出て末広亭の小屋主にかわいがられ浪曲師になった男がいた。芸名を末広亭小辰丸という。
興行で静岡方面に呼ばれ、夜行列車に乗ると、夜景が最も美しかったのが小山町だったという。小山の劇場にも呼ばれることがあった。町から昼間は富士が見え、こうしたところに住んでみたいと常々思っていたところ、菅沼出身の娘と結婚することになり、戦後すぐにこの夫婦は東京から小山に移り住むことになった。最初は小山駅のすぐ山手に住んだがのち落合に移った。
上では末廣亭清風に可愛がられたように書かれているが、実際は二代目末廣亭小辰丸の弟子だった模様か。
ここで厄介なのが二代目の存在である。二代目という人も結構人気があり、レコード吹込みが多い。
この小辰丸は後年、末廣亭清風を襲名した――というが、昭和に入り、小辰丸と名前を戻している。この清風と小辰丸の活動時期がほぼ合致しているため、同一人物である可能性は否定できない。
この興行師・小辰丸も人気があり、色々な読み物を演じる事が出来たという。関東節をベースに自由自在に節を操った。『浪曲ファン71号』の連載の中に面白い記載がある。
現在は自動車を使って行商する人達が、 歌謡曲や民謡のテープを流して居ます。酒場然り。まだまだ小学校の運動会にまでこれ等のテープやレコードが使われて居ますが、昭和の初めには、縁日などで露天商が客寄せに使うレコードは、殆ど浪曲が使われて居ました。又場末のカフェなどでも浪曲が流れてゐました。そんな時耳を澄ますと、綾太郎と小辰丸が多く、中でも地方によっては末広亭小辰丸が浪花節の代表者のように云はれてゐました。私は小辰丸の芸の上での成長振りを時々のレコードを買うことによって丹念に調べそして見て来ました。昔、この人の吹込むレコードは、二流会社が多く、二、三の会社を除いて殆んど顔を出して居ました。しかし、売れ行きは、私の地方ではナンバーワンだったとレコード店の主から聞きました。
この人の調子は中高でしたが、虎丸の合の子に、独特のハイカラ節を交えて、然も関東節の愁嘆節もやり、そしてきっかけ節も詩情豊かな響きがあり、バラエティに富んだ浪曲でした。天狗道場が盛んの頃小辰丸の物真似が出ると、主の相模太郎が小辰丸に就いてこんな風に云って居りました。「末広亭小辰丸と云う人は、人気があって女にもてて、もてて、その梅毒に犯されて、浪曲がやれなく、今はどこに居るのかわかりません」とか「昔は大した人気で、お金を残して曲をやめ、今は静岡県下で興行師をやってゐます」などと云ってみました。この小辰丸が晴風と改名しました。そして暫くすると、又小辰丸に戻りました。
昭和五十一年に、知人で浪曲の曲師をやって居るK君に逢った折K君が「僕は先日末広亭小辰丸師の三味線をひきましたよ。矢張り昔の面影が残って居て、今だに大したものですね」と云う。「何?又浪曲に戻ったの?」と聞くと「いや自分の興行に穴が開いたので、その穴埋めに出たんです」とのこと。私は今の小辰丸を聴いて見たいと思いました。
戦前はよくレコードを出していたが、戦時中に空襲や統制で家財を失い、静岡へ引っ越した模様。
戦後は浪曲業界から一線を退き、興行師に転向をした。小山町を中心に事務所を開いて、浪曲師時代に得た面識や伝手を使って、東海地方の興行を行っていたという。
浪曲中心の興行だったそうだが、色物なども呼んだらしい。また穴が開くと自身が舞台に出て、浪曲を演じるというのだから器用な人であった。
『小山町誌』に晩年の様子がある。
テレビの普及とともに従来の形での興行は少なくなったが、それと同じ頃、各地にヘルスセンターが次々にでき、そこに芸人を世話するため仕事が減ることはなかった。彼は昭和三七年に亡くなったが、ほとんど死の間際まで仕事で動いていたという。
ただ、上の記載と比べると「昭和37年没」がいささか腑に落ちない。なぜならこの曲師K然り、先年亡くなった吾妻はじめ氏然り、「1970年代に曲師で静岡を訪れたら、代演に小辰丸が出演を買って出た」と平然と述べているからである。
倅は興行の後を継いで、平成までやっていたらしい。この倅が親父の背中を見て「小辰丸」と名乗り、それで浪曲の真似事をしていたのか、それとも「昭和37年没」が誤解なのかのどちらか。
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