浪曲を彩った人々

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品のある浪曲・八洲天舟

「品のある浪曲・八洲天舟 - 浪曲を彩った人々」八洲天舟は戦前戦後活躍した浪曲師。名人として謳われた八州東天の弟子で、師匠譲りの芸題と節で人気を集めた。戦前は青年横綱として名声をほしいままにしたという。
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独立独歩の天狗・浪花家辰丸(三代目)

「独立独歩の天狗・浪花家辰丸(三代目) - 浪曲を彩った人々」浪花家辰丸は戦前戦後活躍した浪曲師。独立独歩で一枚看板を掲げ、大名跡「浪花家辰丸」を襲名するのに至った。大らかな芸を得意とし、嘘か本当かわからないジョークや大法螺で人を煙に巻いた所から「天狗の辰丸」というアダ名がついた。
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最長老・廣澤虎吉(三代目)

「最長老・廣澤虎吉(三代目) - 浪曲を彩った人々」三代目広沢虎吉は戦前活躍した浪曲師。95歳という驚異的な長命を保ち、最晩年小沢昭一の『放浪芸』の取材に協力した。今なお浪曲史に残る「廣澤虎造」の初代を名乗ったのはこの人。
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弟は辛いよ・東家小楽遊

東家小楽遊は戦前活躍した浪曲師。兄が二代目東家楽遊、弟が東家小雀という名門の一族であったが、兄には及ばず中看板で終わった。三兄弟の中では一番早く夭折した。彼が生前とった弟子が東家楽浦で、今続く東家の系統の源流はこの人にあったりするから皮肉である。
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戦死をした東家小三楽

[戦死をした東家小三楽 - 浪曲を彩った人々」東家小三楽は戦前活躍した浪曲師。入門して数年で頭角を現し師匠三楽にして「三代目を譲るならこの男」と唸らせるほどの実力者であったというが、日中戦争で応召され、中国戦線で戦死をした。
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不思議な芸名の蛟龍斎青雲

蛟龍斎青雲は戦前活躍した浪曲師。元々は「桃中軒青雲」といい、桃中軒雲右衛門の弟子であったが、ふとしたことから「蛟龍斎青雲」と改名した。雲右衛門張りの芸を得意としたという。宮崎滔天原作の『由井正雪と天草四郎』という作品も得意とした。
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物真似の三遊亭三橘

「物真似の三遊亭三橘 - 物真似師たちの系譜」三遊亭三橘は戦前活躍した物真似芸人。元々は初代三遊亭円右門下の落語家であったが、落語よりも雑芸がうまく声色や珍芸の方に転向をしたという。芸よりも奇人・変人として知られた人物だったようだ。 
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レコードの人気者・東家楽声

「レコードの人気者・東家楽声 - 浪曲を彩った人々」東家楽声は戦前活躍した浪曲師。「楽声」と号したように大音の美声が自慢で、戦前のレコードやラジオの売れっ子であった。粋な関東節と美音で主に寄席を中心に活躍をしたという。
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サラブレッド・前田節子

「サラブレッド・前田節子 - 浪曲を彩った人々」前田節子は、戦前戦後活躍した女流浪曲師。実父も養父も浮かれ節の大幹部というサラブレッドであり、実兄も義姉も大看板という恵まれた家柄で育った。芸の毛並みは良かったそうで、ハワイ巡業に何度も出かけた程である。
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声帯模写の奈美乃一郎

「声帯模写の奈美乃一郎 - 物真似師たちの系譜」奈美乃一郎は戦前戦後活躍した声帯模写の芸人。元々は活動弁士であったが、弁士衰退に伴い声帯模写と漫談に転向。単純な物真似に留まらず、ドラマチックな構成を持つ声帯模写を完成させた。高い人気を誇ったが50目前で夭折した。