落語・日の丸寿司

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日の丸寿司

 魚屋の熊さん、出征をして激戦地を巡り、負傷。傷痍兵と認定され、内地に帰還する事となった。
 懐かしの長屋へ帰ると「名誉の負傷」というので、周りが至れり尽くせり。傷も治り、なんとか働けるまでに回復したので、お礼を兼ねて横丁のご隠居さんの家を訪ねる。
 ご隠居は、「名誉の兵隊がきた」とたいそうご機嫌で、熊さんを丁重にもてなす。熊さん、恐縮しきりであったが、ご隠居と話をするうちに戦地の話となる。
 そこで熊さん、朗々と自分の戦功を話し、日本軍の偉大さを論じる。ご隠居はそんな熊さんを見て感心する。
「戻ってきた今、お前さんどうするつもりだい」
 と、御隠居は今後の生活予定を尋ねると、
「日の丸寿司というすし屋をやろうと思います」
 いつまでも軍人恩給に頼るわけにもいかず、お国のために少しでも稼いでお金を納め、さらに兵隊さんたちにおいしい寿司を食べてほしいと論じる。
 ご隠居はどこまでも立派な熊さんを褒め、「軍人傷痍記章を見せておくれ」と頼む。
 熊さんから記章を受け取った御隠居はまじまじと見つめ、
「立派なものだ。熊さん、その傷痍記章さえあれば、押しも押されぬものさ」
 と、感心すると、熊さん、

「道理でこの間電車に乗ったら席を譲ってくれた。」

『読売新聞』(1939年7月1日号)

 いわゆる国策落語というやつ。演者は何と八代目桂文治。古典派と知られた桂文治がこういうネタを演じているのが、如何に非常時かという事を思わせる。

 当然、今演じようたってそうできない作品である。内容も当然戦意高揚色が強く、面白くはないが、戦時下の戦争協力というものをよく考えさせる。

「講談や浪曲と違って落語は戦争で弾圧された」「国家協力しなかった」的な言説を時たま見かけるが、こういうのを見るとそれが嘘だと判る。

 戦後の噺家たちは「いやいや演じていた」などと好き勝手に言っているが、事実こういうネタをやっていて高座にかけていたのだから、敗戦以前は「日本は勝つ」と信じていたに違いない。

「戦争ネタをやらされた」という苛立ちや反発は、敗戦という悪夢を見せられたゆえの反省や反動であって、これで勝っていたら、もっと派手にやった事だろう。

 そういう意味でも「落語と権力とは何か」というものをひどく考えさせる一品ともいえる。

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