落語・虫の居所

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虫の居所

 ある銭湯の朝湯。若者たちが集って「ここのお湯はぬるくていい」「東京の朝湯は熱いというが、熱いのは体に毒だ」と話している。
 すると刺青を入れた爺さんが中に入ってきた。
 一斉に嫌な顔をする若者たち。爺さんの姿を見つめるなり、「うるさい奴が来た」「どこの爺か知らないが、刺青なんざ入れて衛生観念がなっていない」などと陰口をたたく。
 爺は、湯に入るなり、「ぬるい!」と怒り始め、先客に向かって「よくもこんなに埋めてくれたもんだ。てめえ達で入るんじゃねえんだぞ。朝湯は熱くなきゃいけねえ。入っては浪花節なんぞ歌いやがって、祭文なんか江戸の土地で唄うような代物じゃねえ、田舎ものか」などと小言を述べる。
 若者たちは「熱いのは体に毒ですから」と反論するも、爺は勝手にお湯を入れ始め「べらぼうめ、そんなにぬるいお湯に入りたきゃ水風呂に入れ」などと逆ねじを食らわせる。
 なんとか朝風呂から上がった爺。帰り道、街角で大掃除やペストの消毒をやっているのが気に食わず、「間抜けめ、べらぼうめ」と愚痴をこぼす。
 近所で芸者をしている姉さんが「おじさんどこへ行っていたの」と尋ねて来るので「朝湯だ」。
「なら、大掃除をした後に行けばいいじゃありませんか」
 というと、爺は「べらぼうめ、江戸っ子が朝湯に入らなくてどうする」とキレ散らかす。さらに大掃除をしている姉さんをあてつけるように、
「この頃は何かにつけては掃除だ、消毒だとうるせえんだ。昔は晦日のすす払いくらいしかしなかったものを、やれ消毒で虫を殺さねばならねえ、ネズミの病気を気をつけねばならねえとは何とバカバカしい事か。昔は花のお江戸に病なんざなかった。そんな病が出るのは役人が間抜けだからだ。あいつらは髭ばかり生やして何もしねえじゃねえか」
 と、大憤慨。しかし、姉さんも負けてはおらず、
「でも、昔はどんな馬鹿でもその家に生れればお役人になれたそうですが、当節では頭がいい人じゃなきゃなれませんよ。そういう意味では今の方が恵まれているでしょう」
 と言い返すと爺はカッと怒って、
「べらぼうめ。昔の役人には手数料もなかったし、あんな馬鹿な野郎は居なかった。何かあればすぐ腹を切って責任を取ったのに、今は牢屋とやらに入って死なねえ軟弱ものばかりだ」
 と、昔の礼賛を始める。姉さんは呆れて、
「今では法律というのがあって……」
 と弁護をするが、爺はその態度が気に食わず、
「それを言えば、お前さんたち芸者が気に食わねえ。昔は風流があった、面白さがあった。今の芸者は待合に行かせることばかりで、三味線も踊りも下手で、ちょっと何かしたところでエロだ、なんだのとろくでもねえ野郎どもの塊だ」
 と罵倒する。さらに「今は飯がまずくなった」「芝居もろくなものがなくなった」と、身近な所から江戸がなくなっていることを、鉄砲の如くに言い放って嘆く。
 いつまでも罵倒ばかりしている爺を見ていたのが縁の下の虫たち。
「おい、ワラジムシ。あそこの親父程文句を言うのは居ないね。でもいう事はいい事だ」
「まったく、石灰だの消毒だのというが、俺らだって生きているのにな」
「そうですよ。奴らは俺を蚊取り線香だのとで苦しめるが、人間が風邪をひかないために、夏場プンっと飛んで行って刺すのにとんだ恩知らずだ」
「我々アリは冬に備えてコツコツ働いているのに、人間は情けない!」
 虫たちは縁の下で、当世の人間の罵倒と虫たちの生存権を歌い上げる。
 この大声を聞いて驚いたのが先程まで喧嘩していた二人。姉さんが縁の下を除くと、
「ちょっとおじさん、縁の下の騒ぎをごらん。どうしたのかしらね」
 ひょいと縁の下をのぞいた爺は一笑して、

「なに、虫の居所が悪いのだろう」

『金三の落語』より

 林家彦六の師匠であった三代目三遊亭円遊が扇遊亭金三時代に創作した落語。

『金三の落語』という落語集の中で、「虫の居所と申しまする、甚だ愚作ではありまするが、只御耳新しい所が御慰みになるかと存じまして」と述べている所から、円遊の創作と考えていいだろう。

 当人もお得意としていただけあってか、ラジオ放送でも演じるほどのものであった。手慣れていた事だろう。

 今見直しても「ペスト」や「朝風呂」という習慣や概念にこそ縁遠くなったが、幸いに生き残った年寄りが、生存バイアスをほったらかして、徹底的に昔を追慕するという、今も昔も変わらぬ皮肉を描き出しているのがすごい。

 当然、江戸時代にはすさまじい流行病や災害があり、その時に年寄りは「昔はこうではなかった」と言っていた事であろう。今日も年寄りが「昔はアトピーなど無かった」「昔はこんな災害はなかった」と、昔の惨状を棚に上げていることがあるが、そうした人間のサガというべき暗部を見事に抉り出している。

 もう少し時代を下らせて「新型コロナウイルス」や「老害」にかこつけるような形で演じて見せたら、なかなか面白い噺になりそうである。

 噺家が作ったものの中では相当優秀な部類の話になると思われる。 

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