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日吉川秋水の義弟・日吉川柳水
人 物
日吉川 柳水
・本 名 永田 要太郎
・生没年 1886年~?
・出身地 京都府
来 歴
日吉川柳水は戦前活躍した浪曲師。元々は立派な畳職人であったが、浪曲が好きで中年で浪曲師に転向。独学で一枚看板を掲げ、初代日吉川秋水の義弟となった。
その経歴は1914年発行の『浪花節名鑑』に詳しい。
日吉川秋平入道生国は京都府久世郡寺田町字寺田五六〇番戸に生る生長の後十三歳にして大阪に出で畳職の徒弟となり二六歳まで十三年の久敷間熱心に此の業に在りしも将来浪花節を好み如何かして一人前以上の浪花節に成らずんばあるべからずと十三年間苦労せし職も捨て自ら如水軒一平と名を改め神戸市三の宮歌舞伎座に初舞台に登場せしときは年二十六歳なり是れより先き一生懸命浪花節に心を傾け昼夜の勉強怠りなく何人も師に持たず独流浪花節を組織せんと反対派浪花節に加り僅か三ケ月にして真打に進み後日吉川秋水氏と兄妹の縁を結びぬ是れより先き芸名を日吉川秋平入道と称す大正二年九月より大阪親友派元老浪花家小虎丸一行に加り中国、九州、四国巡業なし各地に於てもたれを語りけるに極めて好評嘖々たり大正三年も亦一月早々より北陸巡業の途に付き小虎丸氏一行に加りもたれの職を勤めけるに至る処に高評又嘖々たり。
改訂版の『浪花節名鑑』によると、1911年6月1日が初舞台だったという。
1913年頃、日吉川秋水と兄弟分の関係となり、「日吉川秋平」と改名。後年、秋平の名を秋水の弟子に譲り、自らは「柳水」と名乗った。
長らく日吉川の中堅として、主にモタレを担当し、義兄・秋水譲りのけれん物で人気があったというが、遂に大看板になる事はなかった。
没年等は不明。
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