女教師から浪曲師へ・天中軒雲月女

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女教師から浪曲師へ・天中軒雲月女

 人 物

 天中軒てんちゅうけん 雲月女うんげつめ
 ・本 名 松原 良子
 ・生没年 ??~戦後
 ・出身地 愛知県

 来 歴

 天中軒雲月女は戦前活躍した浪曲師。愛知県で教師をやっていたが、初代雲月の支配人からその声と素質の良さを見込まれて浪曲師になったという変わり種。天中軒女雲月、天中軒雲月嬢という似た名前がいるのでややこしい事ありゃしない。

 経歴は『都新聞』(1938年3月26日号)にある。

 教壇から転向した新女流浪曲家 雲月女浅草からデビュー
 浅草オペラ館では、今度の廿九日替りが、ヤパンモカル第二百回興行に当るので、これを記念興行とすべく特別番組を組んでゐるが、その一つに異色ある女流浪曲が現れる事になつた、それは天中軒雲月女とて、東京は文字通り初お目見得だが、彼女の経歴といふ凡そ変つてゐて、郷里愛知県の高女を出てから県立師範の二部に学んで、土地の小学校に教鞭を執つてゐるうち、先代雲月の太夫元を長らくしてゐた杉浦幸太郎氏にその聲を認められて、頻に口説かれた結果、遂に教壇から百八十度の転向を行ひ、以来杉浦氏を藝の師匠とし、且太夫元として技を磨く傍ら関西方面でインテリ女流浪曲とし売出してゐたもの、得意は新作物で、殊に近頃は多く軍事物を手掛けてゐるといふ

 先生出身というのが非常に変わっている。

 先輩に、天中軒雲月嬢、天中軒女雲月というのがいるが、両人とも天中軒一門というだけで深い関係はない。

 雲月嬢は、初代雲月より二代目を譲渡され「二代目雲月」後に「伊丹秀子」と改名し、一世を風靡した。女雲月は、大正時代からの古株で、天中軒一門の身内となって「女雲月」となった人物。歌謡浪曲の名人として知られる天津羽衣の実母である。

 天中軒一門をバックにつけ、華々しく披露を行った。一時期は非常に人気があったと聞く。天中軒節の殆どは、初代雲月の三味線であった松本嘉一につけてもらったという。

 戦時中、吉本に入社し、雲井乙女と改名。吉本系の劇場へ進出した。

 戦後、吉本との契約満了に伴い、独立。松原良子と改名し、独立独歩の姿勢を取った。

 戦後間もない1951年、私財百万円を投じて、世田谷区に浪曲学校を開設するなど、評判をとった。

 高度経済成長期頃まで健在が確認でき、最後は仏教に帰依していたとかしないとか。名人・京山華千代と組んだ『御伝記 惠信尼公』なるレコードの存在が確認できる。

 息子は名古屋で「日本舞踊・松川流」を開いた西川鯉重郎。孫が松川龍之介にあたる。

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