落語・夜逃げ長屋

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”indigo”]

夜逃げ長屋

 お馴染みの八軒長屋、何の変哲もない作りであるが、住人たちがとどまっている事がないという不思議な長屋。誰かがいつも住んでいるのだが、いつの間にか人が消えてしまう。その噂が噂となって、人呼んで「夜逃げ長屋」。
 多くの住民が現れては消えていき、いつしか五組の住人が住み着くようになった。しかし、この住人達、余りにも貧困と粗暴で長屋を追い出され、行く当てもなくこの夜逃げ長屋にたどり着いたような連中である。
 借りたものは返さない、散々借りを作っておいて踏み倒しをする、怒るとすぐ手が出る。
 仮に豆腐屋が通ろうものなら、「豆腐をくれ」「こっちには油揚げ」と散々ねだっておきながら「では、お代を」などと言おうものなら、住民たちに張り倒される始末である。
 これには商売上手の行商人も参っており、この長屋を通る際は抜き足差し足でコソコソ出入りをする始末であった。
 当然、家賃などという概念も存在せず、大家は常に家賃滞納に頭を抱えていた。
 住人の中には半ば恐喝で「俺の家だ」と住み着いているのもある、苦情を言えば「立ち退き料をよこせ」と脅しつけて大家をボコボコにしたのもある――大家は困り果てた末に、一斉立ち退きを命じるがこれに怒ったのが住人達。
「せっかく住んでやっているのに、家賃が払えねえと立ち退きとは何様だ。こんな長屋には火をつけてやる」
 血気盛んな男は大家の家に殴り込んで、怒鳴り散らす始末。これには困った大家は「立ち退き料30円出すから出ていってくれ」というと、他の住人がやってきて「一人だけやるのは遺恨の元だから全員に立ち退き料を払ってくれ」「もっと立ち退き料を下さいな」とゆすりたかりが出る始末。
 大家はお引き取りを願おうとすると、住人たちは怒り出す。そんな住人へ遂に堪忍袋の緒が切れた大家は「火をつけれるもんならつけてみろ。火災保険には入ってらあ」と居座ってしまった。
 これには住人達も驚いてすごすご帰って出ていったが、一人だけ出ていかないのが、12人の子どもを持つ夫婦。
 12人の子どもを一斉に連れて来るや「立ち退きを命じられていく当てがないから、いい所が見つかるまで大家さんの家に置かせてください」という。
 大家の家も決して広いわけではなく、子供たちが入ったら自分達が出ていかなければならないような始末である。
 大家は驚いて、郵便貯金を下ろして家族に支払い、立ち退いてもらった。

 邪魔者がどいて、ほっとしたのも束の間、立ち退き料に全財産をはたいてしまった大家さん、土地代や税金が払えず、自分が夜逃げをしてしまった。

『読売新聞』(1932年3月2日号)

 柳亭魚楽こと九代目柳亭芝楽がやっていたというネタ。長屋の家賃や立ち退きを巡る悲喜こもごもは大ネタ『三軒長屋』を筆頭に、結構ネタがあるが、ここまでえぐく書いたネタは珍しい。

 この魚楽という人は、晩年前座同然の身の上になり、余り恵まれなかったのだが、若い頃はそこそこ才覚があったそうで、横浜の寄席では人気者であったらしい。その人気者当時だったころ、盛んにやっていたという新しい落語やスタイルの一環と言えよう。

 古典のネタを換骨奪胎しながら、上手く仕立て上げているスタイルはなかなか面白い。立ち退きや夜逃げを命じている内に、己が「夜逃げ」してしまう下りなど、西洋小噺的なエスプリがある。

 ただ、変にやってしまうと、この噺は実に厭味ったらしいものになるのではないんだろうか。声の大きいものが得をして、善人が損をするようなことが今日も横行しているからである。

 やろうと思えば、やれるネタであろうか――

[random_button label=”他の「ハナシ」を探す” size=”l” color=”lime”]

コメント

タイトルとURLをコピーしました