浪曲ブラブラ

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反骨児・英紅天

「反骨児・英紅天 - 浪曲を彩った人々」英紅天は戦前活躍した浪曲師。美貌と美声の浪曲師で謳われたが骨のある反逆児として知られ、浪曲親友組合に喧嘩を売ったり、吉本に喧嘩を売ったり、と同期生の梅中軒鶯童や広沢瓢右衛門を巻き込んで、浪曲戦争を巻き起こした。
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二代目春野百合子の指南役・吉田奈良英

「二代目春野百合子の指南役・吉田奈良英 - 浪曲を彩った人々」吉田奈良英は戦前戦後活躍した浪曲師・浪曲三味線曲師。元々は二代目奈良丸門下の俊英であったが、同じ兄弟弟子の奈良千代と結婚。後年は浪曲三味線に転向し、夫婦仲よく稼いだ。二代目春野百合子の手ほどき役としても名を残す。
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ハワイ生まれの二世浪曲師・京山貞奴

「ハワイ生まれの二世浪曲師・京山貞奴 - 浪曲を彩った人々」京山貞子は戦前活躍した浪曲師。ハワイの日系二世として生まれ、アマチュア浪曲で活躍の後、ハワイに巡演に来た浪曲師を頼って日本へ修業にやって来て、浪曲師になったという変わり種であった。
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妙国寺事件の名手・京山雪洲

「妙国寺事件の名手・京山雪洲 - 浪曲を彩った人々」京山雪洲は戦前戦後、関西を中心に活躍した浪曲師。十八番の「妙国寺事件」が売りで、見事な節と語り口で関西の浪曲ファンを唸らせ、長い息を保った。
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琴入り浪曲の大蔵雲

「琴入り浪曲の大蔵雲 - 浪曲を彩った人々」大蔵雲は戦前戦後活躍した浪曲師。浪花大掾門下からスタートして独立で腕を磨き、戦前から琴入り浪曲で人気を博した。
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日吉川秋水の義弟・日吉川柳水

「日吉川秋水の義弟・日吉川柳水 - 浪曲を彩った人々」日吉川柳水は戦前活躍した浪曲師。元々は立派な畳職人であったが、浪曲が好きで中年で浪曲師に転向。独学で一枚看板を掲げ、初代日吉川秋水の義弟となった。
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鼈甲斎ひさごの父・京山始メ

「鼈甲斎ひさごの父・京山始メ - 浪曲を彩った人々」京山始メは浪曲黎明期に関西で活躍した浪曲師。京山小円、京山若丸などと兄弟弟子にあたる。京山花丸と名乗っていたが、後年「始メ」と改名して引退した。
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寿々木亭から東家へ・東家楽楓

「寿々木亭から東家へ・東家楽楓 - 浪曲を彩った人々」東家楽楓は戦前活躍した浪曲師。元々は寿々木亭一門の浪曲師で、天才浪曲師と謳われるほどの実力者であったが、わけあって東家楽遊一門に移籍し「東家楽楓」と改名した。
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軍事浪曲とタイヘイトリオ・満洲日出丸

「軍事浪曲とタイヘイトリオ・満洲日出丸 - 浪曲を彩った人々」満洲日出丸は戦前戦後活躍した浪曲師。その芸名の通り、軍事浪曲を得意とし、一時代を築いた。二人の娘は、漫才界に移籍し、「タイヘイトリオ」を結成。1950~70年代の上方漫才におけるトップスターとして活躍した。
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天才浪曲少年・宮川左近坊

「天才浪曲少年・宮川左近坊 - 浪曲を彩った人々」宮川左近坊は戦前戦後活躍した浪曲師。10代にして天才少年の誉れをほしいままにし、四代目宮川左近候補とまで謳われた天才児であった。戦時中に覚えたヒロポンや浪曲不況の波にのまれ、遂に大看板になりそびれた、時代に翻弄された芸人でもあった。