浪曲を彩った人々

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日露戦争帰りの富士入道

「日露戦争帰りの富士入道 - 浪曲を彩った人々」富士入道は戦前活躍した浪曲師。日露戦争で足を失って復員後、桃中軒雲右衛門の人気に触発されて浪曲師になったという。元々は中京系の人物だったそうで、師匠は吉川小福円こと富士呑海だったらしいが――どうなのだろうか。
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浪花歌笑の父・浪花吉右衛門

「浪花歌笑の父・浪花吉右衛門 - 浪曲を彩った人々」浪花吉右衛門は戦前活躍した浪曲師。浪曲の始祖・浪花伊助の孫弟子で、天光軒満月嬢、浪花歌笑の実父としても活躍。芝清之は『浪曲人物史』の中で、「関西浪界の祖とも云われる浪花伊助の門下」と書いているが、これは誤記のようである。
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関東大震災の悲劇・吉田久菊

「関東大震災の悲劇・吉田久菊 - 浪曲を彩った人々」吉田久菊は戦前活躍した浪曲師。浪曲の鼻祖的存在である初代吉田久丸の倅に生れ、天才的な芸と美声で一世を風靡し、将来を嘱望されたが、横浜公演中に関東大震災に遭遇。建物の下敷きとなり、足をのこぎりで切断を試みるも失敗。罹災死を遂げた。
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独立独歩の式部佐代子

「独立独歩の式部佐代子 - 浪曲を彩った人々」式部佐代子は戦前活躍した浪曲師。天才浪曲師としてデビューし、明治末の東京で爆発的な人気を集めたという。女雲右衛門と謳われた前田八重子の師匠分でもある。
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生蕃呼ばわりされた京山光右衛門

京山光右衛門は戦前活躍した浪曲師。「電気応用浪花節」という独特の演出で人気を集めた他、日本人離れをした風貌と顔つき故に「生蕃」と呼ばれるほどのものであったという。差別的であるが、すごい。
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二代目八洲東天を継いだ八洲東郷

「二代目八洲東天を継いだ八洲東郷 - 浪曲を彩った人々」八洲東郷は戦前戦後活躍した浪曲師。芸豪東天門下の中でも指折りの芸豪で、師匠に指名されて「二代目東天」を継いだこともある程。戦後は日本舞踊と浪曲を合わせた舞踊浪曲などで話題を振りまいたが大看板になり損ねたのが残念であった。
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有栖川宮から称号を貰ったという浪花大掾

「有栖川宮から称号を貰ったという浪花大掾 - 浪曲を彩った人々」浪花大掾は戦前活躍した浪曲師。二代目広沢虎吉門下で「廣澤菊円」と名乗っていたが、有栖川宮の前で御前口演をし「浪花大掾」を自称するようになった。
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日吉川の源流・日吉川秋水(初代)

「日吉川の源流・日吉川秋水(初代) - 浪曲を彩った人々」日吉川秋水は戦前活躍した浪曲師。京山一門から分家をして「日吉川」を創設。平成まで続く名門・日吉川の一門を一代で練り上げた。滑稽浪曲を得意とし、関西の客の腹をよじらせた。以来、日吉川家は滑稽浪曲の家になったという。
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信州の快男子・山川八道

「信州の快男子・山川八道 - 浪曲を彩った人々」山川八道は戦前活躍した浪曲師。義太夫語りから浪曲師に転向し、独立独歩で浪花節の研究と修業に励んだ末、義太夫風の三味線や音調を元にした独自の節まわしを開拓、人気を集めた。
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大陸浪人の弟・桃中軒小雲

「大陸浪人の弟・桃中軒小雲 - 浪曲を彩った人々」桃中軒小雲は、戦前活躍した浪曲師。名前の通り、雲右衛門の弟子で「雲右衛門の後継者」を自負する程の有望株であったが途中で廃業した。兄は茂田学という大陸浪人で、雲右衛門の良き理解者であった宮崎滔天と深い交友があったと聞く。