浪曲を彩った人々

浪曲ブラブラ

水戸黄門一本槍・吉田若春

「水戸黄門一本槍・吉田若春 - 浪曲を彩った人々」吉田若春は戦前活躍した浪曲師。吉田一門の出でありながら、お笑い浪曲を得意とし、水戸黄門一本で生涯を暮らした奇人である。「天下御免水戸黄門」というすさまじい肩書と赤い陣羽織を羽織ったパフォーマンスで人気を集めた。
浪曲を彩った人々

女流の芸豪・摂津弁天

「女流の芸豪・摂津弁天 - 浪曲を彩った人々」摂津弁天は戦前戦後活躍した女流浪曲師。ムチャクチャ堅苦しい名前とは裏腹に、愛嬌と豪快さでドンドンと巻き込んでいく達者な浪曲を得意とし、戦前女流浪曲界の第一人者であった。芸歴が長い浪曲師としても知られた。
浪曲ブラブラ

弟の足を切った吉田久丸(二代目)

「弟の足を切った吉田久丸(二代目) - 浪曲を彩った人々」二代目吉田久丸は戦前活躍した浪曲師。初代吉田久丸を父に、天才と謳われた吉田久菊を弟に持つサラブレッドであったが、関東大震災で弟を失ったショックで元気を失い、当人は中幹部として終わってしまった。
浪曲を彩った人々

美貌美声の天中軒月子(初代)

「美貌美声の天中軒月子(初代) - 浪曲を彩った人々」天中軒月子は戦前活躍した女流浪曲師。初代天中軒雲月の弟子として売り出し、日本人形のような美貌と陶酔させる美声で一時代を築き、女流浪曲の大幹部として君臨した。
浪曲を彩った人々

被爆からの奇跡の生還・大隅輝子

「被爆からの奇跡の生還・大隅輝子 - 浪曲を彩った人々」大隅輝子は戦前戦後活躍した女流浪曲師。大阪で修業し、若手浪曲師として売り出したが1945年8月の広島原爆投下で被爆。原爆症に苦しみながらも舞台に立ち続け、一枚看板となった。
浪曲ブラブラ

新物読みの長谷川梅雄

「新物読みの長谷川梅雄 - 浪曲を彩った人々」長谷川梅雄は戦前戦後活躍した浪曲師。元々は雲井一声の弟子で地味な存在であったが、新物読みでめきめきと頭角を現し、戦後売れっ子になった。大幹部を間近にしながらも60代で夭折を遂げた。
浪曲ブラブラ

酒豪・酒仙の浪華軒〆友(二代目)

浪華軒〆友(二代目)は戦前戦後活躍した浪曲師。元々は木村重友の門下生であったが酒乱で破門され、浪花亭奴の門下に移籍。奇才と謳われた「浪華軒〆友」を襲名し活躍した。粋でいなせな関東節と啖呵を得意とし、寄席打ちの名人としても活躍。酒豪としても知られた。
浪曲ブラブラ

自称三代目雲右衛門・野口洋々

「自称三代目雲右衛門・野口洋々 - 浪曲を彩った人々」野口洋々は戦前戦後活躍した浪曲師。桃中軒雲右衛門の末弟子で「神童子」といったが「野口洋々」と改名。20年以上これで活躍していたが、戦後3代目雲右衛門を名乗り、活躍をした。
浪曲ブラブラ

真山一門の流祖・華井新

「真山一門の流祖・華井新 - 浪曲を彩った人々」華井新は戦前戦後活躍した浪曲師。元々は剣劇の役者であったが、30歳という高齢で浪曲師となり、一家を築き上げた。弟子に真山一郎がおり、今日の真山一門の源流となっている。
浪曲ブラブラ

事故死を遂げた名人・末廣友若

「事故死を遂げた名人・末廣友若 - 浪曲を彩った人々」末廣友若は戦前活躍した浪曲師。東家楽燕の門下からスタートしながらも師匠とはまるで違う関東節を使いこなし、独立。粋で礼儀の正しい芸で人気を集め、一躍売れっ子になった。これから浪曲界を支えるという時に鉄道事故に遭遇し、夭折を遂げた。