落語・義理堅い男

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義理堅い男

 中山道はずれにある宿屋「鶴屋善兵衛」。
 かつては中山道でも一、二位を争う宿屋であったが、現当主の祖父が鉄道計画が出た際に真っ向から反対をして、鉄道の路線を変えてしまったために、観光客が来なくなってしまった。
 さらに、戦後の国道の増設で観光客は皆国道を使って別の街へ行ってしまい、ますます寂れるばかり。今では水道もないぼろの宿屋が一軒ぽつねんとあるばかり。
「国道と鉄道が潰れてくれりゃまた繁盛するさ」
 などと、気楽な事を言っていると、一人の男が「こちらは鶴屋さんですか」と尋ねてくる。
「そうだ」
 と答えると、男は「鶴屋善兵衛さん、あなたにお目にかかりたく東京から出てまいりました」という。
 取りあえず奥に通すと、男はきょろきょろ座敷を見渡しながらその古さに驚く。
「この座敷はいつできたものですか」
「なんでもここ座敷は旦那様の父様の爺様の代に建てられたもんだ」
「あちらの建物は」
「なんでも武田信玄と上杉謙信が川中島で戦った時にできたっちゅう話だよ」
 そうこうしている内に当主の鶴屋善兵衛が座敷にあらわれ、用件を伺う。
 男は「かすりを着た十二、三の男の子がこの前を通ったのを覚えてませんか」と尋ねる。
「いつ頃の話ですか」
「三十年前の話ですな」
「そんな古い事はわからねえ。なんせその頃はまだ活気があったから、色々な人が往来していたもんでな。忙しくて目が回りそうだった。今は首が回らないんだ」
 男は、「実は三十年前、貴方様のお宿に助けられたものです。悪い奴らに金をとられ、空腹で倒れかかった時、御主人が可哀想だ、となめこ汁とさんまの開きをもてなしてくれた。あれほどうまいものはなかった。さらに布団まで貸してくれて寝かせてくれた上に、その子供が東京へ帰ると聞いて弁当と旅費まで持たせてくれた……」と感謝の念を述べ始める。
「その少年はきっと立派になって御恩をお返ししますと言いました。三十年経ってまた伺うという約束でしたが、それが今日なのです」
 男の話を聞いて、善兵衛さんは驚きあきれる。気を大きくした善兵衛さんは「お茶を、いや、酒を出せ、酒は駄目? じゃあ、せんぶりでもどうだね」と茶を勧めながら、一度奥に引込む。そして、年老いた妻と話をする。
「かか様よ、あんな男を救った事はあったか?」
「三十年前? ああ、あれでねえか。佐渡から来たって子供。お母さんがお光で、お父さんが吾作いうて、佐渡情話みてえだと笑ったじゃねえか」
「ああ、あの時の子か」
 思い出した二人は
「あの時一軒家を建つほどの金をやるといっておったな」
「すごい大金もらえるかもしれない」
「もらえたら地下三階、地上七階の豪華ホテルでも作るか?」
 などと捕らぬ狸の皮算用をはじめる。
 ニコニコしながら、老妻をつれて、「お待たせしました。これはうちの家内で……」とあいさつをしながら、
「しかし、よくおいでなさりましたな。絣の着物を着たあなたの面影は残っておりますだよ」
「いえ、僕はその当人じゃありません」
「あれ違ったかね」
「本人はよんどころない事情でどうしてもうかがえないので、代わりに行ってくれというので参上した次第です。」
「ははあ、義理堅い人だねえ。それで用件は?」

「はい、三十年経ったらお礼すると約束しましたが、まだお返しができませんからよろしくという事でございます」

『新作落語傑作選集・上』

『義理難い男』は、ユーモア作家の玉川一郎が執筆し、春風亭柳昇が演じたもの。柳昇はこのほのぼのとした世界観が好きだったと見えて、晩年まで十八番にした。

 田舎の恩返しを巡る駆け引きを面白おかしく書いている。そして、どんでん返しのオチは玉川一郎一流のエスプリが効いている。

 ただ、柳昇自体はこのオチを中途半端に感じたのか、後年は、「父っちゃま、礼はないんだとよ」「当たり前だ。昔から礼(零)はゼロに決まっている」という形で落とすようになった。

 今残る音源もそれで〆られている事が多い。

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