落語・幸運の七

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幸運の七

 昭和初期の東京六大学野球は大変な人気で、特に早慶戦は満都の評判となったほどである。
 学校間の試合結果をめぐってリアル乱闘まで起きたというのだから今日の厄介オタクの走りである。
 ラジオ屋の前には野球を聞くべく人だかりができ、野球選手が一息をつけるのが雨の日だけというのだから大変なもの。
 そんな六大学の中でも人気のある大投手の秋元くん、授業料が支払いきれずに元気がない。それを監督が見かねて、「講談でも聞いて元気を出せよ」と講釈場へ連れて行ってくれた。
 舞台に上がった講談師が読み出したのは、歌舞伎でもおなじみの「河内山」。河内山宗俊が上州屋という質屋に乗り込んで、自分の家の表札を五十両で質入れしようという話であった。
 それを聞いた秋元くん、何か思いついたようである。
 まもなく、待望の試合が始まる。しかし、相変わらず秋元くんの調子が悪い。天下の変化球を出さずに打たれっぱなしである。
 あわや負けるというときに速達が届いて、その中には国元の父親から「為替」が届いた。
 それを見た秋元くんは、にわかに喜び、近くにいたマネージャーの鵜山くんに「ちょいと頼まれてくれ」と、為替とメモを書いて渡す。
 鵜山くんが飛んで行った先は質屋の「上州屋」。店の中では小僧も主人も一緒になって中継に釘付けである。
 そこへ鵜山くんが駆け込んでくる。店のものが嫌な顔をすると、秋元くんから渡された為替とメモを差し出す。そこには「ドロップ」と文字が記されて合った。
 上州屋の旦那は為替を見るなり「実は秋元くんは、学費のために伝家の宝刀を質入れしていたのだ」という。鵜山くんは驚きながらも質受けをして球場へ。
 なんとか間に合った鵜山くん、秋元くんに質受け票を渡す。それを見るなり秋元くんは喜び勇み、得意のドロップを連発する。
 これには相手大も震え上がり、出る打者出る打者、三者凡退に終わる。
 ラジオの中継で喜んでいたのがもう一つある。質屋の上州屋である。上州屋の旦那は「よくやった、立派なことだ」と大喜びしながら、
「これで長らく頭痛の種だった一人娘の婿も決まった」
 小僧や番頭も喜びながら、
「秋元くんが若旦那になるんですか? すげえや」
「うむ、あの男は義理堅い男だ。学費のために自らの魔球を質に入れ、払いきれぬうちは一切使わなかった。本当に義理堅い男だ。これと申すは河内山大明神のおかげ、まったく福がなりまして商売繁盛……」
 ラッキーセブンの名のとおり、福を授かったのは「シチヤ」であったというラッキーセブンの一席。

『読売新聞』(1934年4月30日号)

 ユーモア作家の辰野九紫が執筆し、当時人気者であった柳家金語楼が演じた。

 作家が書くのだから面白いか――といえばさもあらず。金語楼自作自演の方が面白く感じるのはどうしたものだろうか。

 あくまでもユーモア作家のエスプリと、落語家の実演の距離がありすぎるという事だろうか。これは辰野の才能の是非ではなく、多くの演芸作家に言える事ではある。

 早慶戦やラッキーセブンなど当時の流行を巧みに練り込んでいる点は評価できなくもないが、あくまでも金語楼が愛嬌よく見せてみた所に面白みがあって、復活するだけの価値があるかというと……

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