落語・親孝行

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親孝行

 田舎へから東京へ遊学に出た若旦那、都会の荒波に揉まれてながらも、親孝行を忘れずに学校が休みとなれば家に帰り、目の不自由な父親のために都会の話をしたり、新聞を読んで聞かせてやっている。
 ある時、ラジオなるものが売り出された。目が見えなくても面白い音や話がずっと流れる事を知った若旦那、これを買って故郷に帰った。
「お父さん、東京ではラジオが大流行です」
 当然親父はラジオなど知る由もない。
「なんですな、ラジオもは放送でして、放送の大流行、東京では20万以上のファンがいます」
 それを聞いた親父は真っ青になって、
「おっかねえ事だなあ、疱瘡(ほうそう)が大流行で20万からの人が不安とは大変だ。お前もそんな所早く引き上げろ」
 若旦那は「疱瘡」ではなく「放送」、「ファン」は「贔屓」と教える。親父は納得するものの、
「しかし東京から五十里も離れている片田舎では金がかかって大変だろう」
「いや、そこがラジオでして遠くも近くも無線で聞けます」
「無銭ならタダか。安いもんだ」
 親父は喜んでラジオを取り付け、自分だけでなく村の者たちにも聞かせてやろうと考える。家に仕える権助に「村の人にも教えてお上げ」と触れ回らせる。
 若旦那の話を聞いた村人たちは、「ラジオというお土産があるそうな」と風呂敷やらドンブリを持って集まる。
 若旦那はアンテナを持ってきて権助に取り付けるように言うと、
「ラジオはエレーもんだ。屋根にアンペラを敷くのか」
 村人たちは変な事で感心しきり。
 スイッチを入れると、
「JOAK、こちらは東京放送局であります。鶴澤二三龍さん弾語りの『関取千両幟』の演奏に参ります」
 と、女義太夫の声が聞こえてくる。
『関取千両幟』のさわりと櫓太鼓の音が聞こえてきたのに村人たちはびっくり。
「たまげたもんだ。えれえ大きな声だ。人間業じゃねえんだな」
「ええ、愛宕山から電波で放送します」

「どうりで天狗の仕業だあ」

『読売新聞』(1926年8月10日号)

 六代目雷門助六がやったネタ。原題は『ラジオ』と言っていたが、放送局の都合で改名したらしい。
 前年に開局したばかりのラジオを取り上げて、「上品で面白く、新時代に適合したもの」を作るべく苦心して生み出したという。

 ラジオの古臭さこそあるものの、ラジオの頓珍漢な問答に加えて、演芸放送を巧みに織り交ぜた、なかなかニクい作品である。

 当時のラジオ風俗というものをうまく反映させた作品と言えよう。徹底的に古風にやれば、逆の意味で受けるかもしれない。

 ラジオ放送内では、女義太夫の人にゲストに出てもらって義太夫を語ってもらっているが(ラジオの中でラジオ放送をやるというメタフィクションの構造が面白い)、高座では助六が三味線を持ってきて、得意の義太夫やら邦楽のさわりを聞かせていたという。

『ほうじの茶』の如く、芸づくしを持っていけそうなネタでも、ある。

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