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原爆投下で亡くなった吉野百合子
人 物
吉野 百合子
・本 名 吉野 百合子
・生没年 1923年~1945年8月6日
・出身地 大阪府
来 歴
吉野百合子は戦前活躍した女流浪曲師。浪花吉右衛門の次女として生まれ、姉に天光軒満月嬢、弟に浪花歌笑がいる。新鋭として活躍したが、出産準備中に広島原爆に遭遇し、22歳の若さで亡くなった。
父は浪花吉右衛門。義姉に天光軒満月嬢がいる。吉右衛門の再婚相手との間に生まれ、百合子と名付けられる。
出産当時は、父が実家より勘当を受けていた為、母方の籍に入り「山本百合子」と名乗っていたという。
幼くして浪曲を仕込まれ、姉の吉奴と共に舞台に上がる。芸名は「浪花小奴」という。
父親が四国で人気があった事から、四国中心に巡演。天才浪曲師として高い評価を受けたという。
1932年3月、父と姉と共に大阪へ上る。この頃、父の勘当が許された事もあり「吉野百合子」と改名している。
吉奴・小奴の姉妹コンビで全国を巡業。10歳弱で既に家庭を賄えるほどの給料を得ていたという。
1936年、姉と弟が天光軒満月の身内に入り、「天光軒満月嬢」「天光軒満男」と改名したのを機に、自身も本名「吉野百合子」と改名し、一本立ちとなる。
同年、父の吉右衛門が徳島で倒れ、寝たきり生活になった事もあり、満月嬢と共に家庭を助け、弟二人を上級学校へと進ませた。
1942年4月、弟の義一が佐世保の海軍兵学校に入る事となったために、徳島劇場の公演を抜け出して見送りに来たという。
1943年8月、天光軒満月嬢と二枚看板で九州を巡業。この広告を偶然見たのが弟の義一で、佐世保にも慰問に来ないか――と誘ったという。軍部から許可が下りた事もあり、一行六人で義一たちの師団を慰問。
太平洋戦争末期に結婚。1945年夏に広島市下流川町の一角で出産準備をしていたという。
1945年8月6日、広島市に原爆が投下される。百合子の住んでいた下流川町も激しい爆風がおこり、百合子は被爆死を遂げた。
戦争の魔の手で奪われた命であった。歌笑は姉の訃報を聞いて愕然としたという。
出産手伝いに来ていた母親も被爆し、瀕死の状態で病院に担ぎ込まれたが、九死に一生を得て助かったという。
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