2022-08

浪曲ブラブラ

イライラの芸豪・京山恭一

「イライラの芸豪・京山恭一 - 浪曲を彩った人々」京山恭一は戦前活躍した浪曲師。浪曲の実演よりも育成と創作の才に優れ、若手の育成やお目付け役として活躍を続けた。日吉川一門が得意とした「薮井玄以」は彼の創作である。議員の中村巍は実の弟にあたる。
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寿々木米若の育ての親・寿々木亭米造(二代目)

「寿々木米若の育ての親・寿々木亭米造(二代目)- 浪曲を彩った人々」寿々木亭米造は戦前活躍した浪曲師。寿々木米若の師匠として知られる。米若に負けぬ芸豪として知られ、関東浪曲界の雄であった。寿々木亭一門の隆盛を築き上げた一人。
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節真似上手の東家小燕

「節真似上手の東家小燕 - 浪曲を彩った人々」東家小燕は戦前活躍した浪曲師。東家楽燕門下であったが後年わけあって篠田実門下へと移籍している。浪曲よりも節真似がうまく、これでラジオにも出演したという変わり種であった。器用な芸人であったのは間違いない。
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雲右衛門の食客・京山福右衛門

「雲右衛門の食客・京山福右衛門 - 浪曲を彩った人々」京山福右衛門は戦前活躍した浪曲師。京山恭安斎の弟子であったが、桃中軒雲右衛門に惚れて雲右衛門に弟子入り。「桃中軒福右衛門」と改名して、雲右衛門について旅巡業を続けた。
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三友会幹部・京山福造

「三友会幹部・京山福造 - 浪曲を彩った人々」京山福造は戦前活躍した浪曲師。無名に近い師匠につきながら、独学で一枚看板を掲げ、広沢菊水、広沢虎月と共に関西浪曲の屋台骨を支えた。達磨のような見事な恰幅と、常識的で理知的な人間性から大幹部や席亭より信頼され、浪曲親友組合の事務も担当していた。
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夭折したという京山文斎

「夭折したという京山文斎 - 浪曲を彩った人々」京山文斎は戦前活躍した浪曲師である。京山若丸の門下生から梅中軒鶯童に師事して、芸を磨いた。鶯童にして「将来大成疑いなし」と絶賛されるほどの芸と態度の持主であったが、胸の病に倒れて夭折した。
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楽燕の親類?東家左楽燕

「楽燕の親類?東家左楽燕 - 浪曲を彩った人々」東家左楽燕は戦前活躍した浪曲師。東家楽燕の高弟で、彼の直弟子で数少なく「楽燕」の名を名乗ることを許されたことを自慢にしていた。一説には楽燕の親類であったともいう。
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男勝りの桃中軒女雲右衛門

「男勝りの桃中軒女雲右衛門 - 浪曲を彩った人々」桃中軒女雲右衛門は戦前戦後活躍した女浪曲師。「女雲右衛門」というから、浪曲中興の祖・桃中軒雲右衛門の弟子のように見えるが、実際は関係を持たなかった。雲右衛門張りの大音声と長髪、男勝りの舞台で人気を博し、浪花節黎明期のスターであった。
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梅中軒鶯童を私淑した梅乃井鶯

「梅中軒鶯童を私淑した梅乃井鶯 - 浪曲を彩った人々」梅乃井鶯は戦前戦後活躍した浪曲師。元々宮川系の浪曲師であったが、長らく梅中軒鶯童を私淑し、鶯童の節、鶯童のネタを継承した不思議な浪曲師であった。 
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独流の名花・桜武子

「独流の名花・桜武子 - 浪曲を彩った人々」桜武子は戦前活躍した浪曲師。幼いころ、父の吉田音右衛門に手ほどきを受けた以外は独学独流で自立し、女流浪曲番付の上位に食い込むほどの人気を集めた。