三代目楽遊の東家左楽遊

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三代目楽遊の東家左楽遊

左楽遊時代

 人 物

 東家あずまや 左楽遊さらくゆう
 ・本 名 村上 一雄
 ・生没年 1893年11月10日~1964年10月16日
 ・出身地 東京本所

 来 歴

 三代目東家楽遊こと東家左楽遊は戦前戦後活躍した浪曲師。二代目譲りの美声と啖呵のうまさから抜擢されて、大名跡「東家楽遊」を継いだが、戦争や諸事情で大成する前に辞めてしまった。

 左楽遊時代は飛ぶ鳥を落とす勢いでの人気があったため、経歴等は割かし残っている。有り難い限りである。まずは『読売新聞』(1926年8月3日号)。

 この左楽遊さんは本所横網の鍛冶家の長男として生れたが幼い時代から藝が好きで、始め中野信近について壮士俳友に這入つた大正二年に中途志しを変へて浪界に東家楽遊に弟子入をした。

 また、『読売新聞』(1927年5月1日号)の中に、

 ◇……十六歳の時「名優たらんとして」新派劇中野信近一座に加はつたのであるが、十九の時から浪界に転じやうとして蓄音機で楽遊の語り口を夜昼となく熱心に稽古にしたものだ。

 とある。芝清之は「職人から浪曲入り」と書いているが、「職人→役者→浪曲師」の流れが正しいのだろうか。

 因みに、父親は後年鍛冶屋をやめて小鳥屋をやっていたという。

 役者時代の師匠・中野信近は壮士芝居の立役者の一人で、壮士芝居の親玉・福井茂兵衛の弟子であった。後年映画俳優に転身し、無声映画でも人気を集めた。

 1912年、二代目東家楽遊に弟子入りをして「東家楽松」。師匠の関東節や啖呵を見事に自分の物にして、一年半で独立をしている。

 独立後、兵役のためしばらく軍隊に身を置き、まもなく復帰。

 師匠樂遊に及ばないと書かれたがるが、残されたレコードを聴くと普通に上手い。物によっては師匠以上のものさえある。

 読み物は広く、「天保六花撰」「小猿七之助」といった侠客物、「明石の斬捨て」「塩原太助」「忠臣蔵」「佐倉義民伝」「慶安太平記」といったお家騒動物、「吉岡兼房」「柳生二階笠」などいった武芸物、「左甚五郎」「水戸黄門」といったケレンも読んだ。

 また、師匠譲りの「小松嵐」「生首正太郎」「海賊房二郎」といった事件物、「憲法発布の悲劇」「大井憲太郎」「乃木将軍」などと明治物も読みこなした。演題の数は東家でも指折りのものだったのではないか。

 惜しむらくは師匠の『小松嵐』のような会心の一作に巡り合えなかった所であろう。せっかくいい腕を持ちながら、師匠が余りにも人気がありすぎたせいで、何をやっても「師匠のマネ」と呼ばれた所に三代目の悲劇があったといえる。

 左楽遊時代のレコードは、当時の若手としては相当の枚数である。全部を記すと膨大な量になるため、省略する。ちなみに音源の大半は日文研アーカイヴで聞ける。

 1923年1月5日~15日、浅草大東京で「東家楽松改め左楽遊改名披露」を実施。真打となった。公演には師匠楽遊をはじめ、重浦、小雀、桃中軒村雲等が参加した。

 1926年8月、読売新聞主催で行われた「浪曲師人気投票」で5万3647票を獲得し、三位に入選。一位は鼈甲斎虎丸、二位は初代天中軒雲月。

 1926年8月23日、JOAK(東京放送局)に出演し、『隅田川の名馬』を放送。以来、放送の引っ張りだこ的な存在になっている。

 1926年12月7日~12日、名古屋放送局より『勤皇美談小松嵐』を五夜連続放送。

 1927年3月9日、名古屋放送局より『伊藤公と大井憲太郎』を放送。

 1927年5月1日、JOAKより『浜野矩随』を放送。

 1927年7月1日~5日、名古屋放送局より『天保六花撰』を連続放送。

 1927年11月17日、JOAKより『河内山宗俊』を放送。

 1927年12月6~10日、名古屋放送局より『黒田騒動』を連続放送。

 1928年7月4日、大阪放送より『隅田川乗り切り』を放送。

 1928年10月6~8日、名古屋放送より『当小船橋間の白浪』を連続放送。

 1929年1月25日、JOAKより『忠僕直助』を全国中継放送。

 1929年5月15日、JOAKの「浪花節の夕」に出演。『塩原多助』を披露している。共演は木村友忠、広沢虎吉、鼈甲斎左虎丸。

 1929年6月17日、札幌放送局より『塩原の別れ』を放送。

 1929年7月21日、JOAKの「浪花節共演」に出演。『小松嵐』を口演している。共演は津田清美、港家小柳丸、木村友衛。

 1930年1月19日、JOAKの「浪花節の夕」に出演。『葛の葉の子別れ』を口演している。共演は港家小柳丸、八洲天舟、東武蔵。

 1930年5月29日、JOAKの全国中継に出演し『次郎長伝・駿府の義侠』を読んでいる。

 1930年6月25~27日、名古屋放送より『陸奥義人傳』を三夜放送。

 1930年8月19~24日、仙台放送局より『浜野矩随』を五夜放送。

 1930年8月31日、JOAKの「浪花節大会」に出演。『隅田川誉れの名馬』を口演。共演は東家小楽燕、浪華軒〆友、早川燕平、木村重松。

 1930年11月21~24日、名古屋放送より『塩原多助』を連続放送。

 1930年11月29日、JOAKより全国中継『木曾の富五郎』を口演。

 1930年12月7日、熊本放送に出演している。

 1931年1月22日、JOAKの「浪花節大会」に出演。『小松嵐』を口演している。共演は京山福造、浪花亭綾太郎、玉川次郎、早川燕平。

 1931年6月21日、大阪放送の「浪花節大会」に出演。『梁川庄八』を口演している。共演は木村重松、雲井一声、日吉川秋斎。

 1932年1月31日、JOAK・JOBKの「浪花節大会」に出演。『善悪二葉松』を口演。旭市子、日本菊子、浪花家筆子、春日亭清吉。

 1932年6月5~7日よりJOAKで『小松嵐』に三夜放送。

 1933年、師匠の楽遊より「三代目楽遊」に指名される。師匠は初代楽遊が名乗った「悟樂斎」を襲名し、「東家悟樂斎」。

 1933年2月21日より28日まで、浅草金龍館で「三代目楽遊襲名披露」を実施。出演は師匠をはじめ、小楽遊、小楽燕、浪華軒〆友、東武蔵、木村重松、港家小柳丸、木村重友、鼈甲斎虎丸、東家楽燕と超豪華版。なお、左楽遊の名跡は弟子の小林義見が二代目として襲名した模様。

 楽燕と小柳丸の大幹部を連れて全国を巡業し、更には満州にまで足を延ばしている。豪華な襲名披露として滑り出し好調だったといえよう。

 1933年6月、朝鮮に到着し、しばらく同地を巡った。

 1933年10月31日、帰国凱旋としてJOAKより全国中継で『浜野矩随』を放送している。

 1934年3月8日、長野放送局に出演し、『忠僕直助』を放送。

 1934年7月7日、JOAKより『木曾の富五郎』を放送。

 1934年10月8日、JOAKより全国中継『塩原多助』を放送。

 1935年1月31日、JOAKより全国中継『赤垣源蔵』を放送。

 1935年5月31日、JOAKより全国中継『雪の戸田川』を放送。

 1935年11月30日、剣劇の梅沢昇一座と手を組んでラジオ浪曲劇『小松嵐』に参加している。

 1936年2月7日、JOAKより全国中継『林蔵の最期』を放送。

 1936年6月23日、JOAKより全国中継『塩原孝子伝』を放送。

 1936年9月7日、JOAKのリレー浪曲『巌窟王』の第五部を口演。

 1936年12月17日、JOAKより全国中継『梁川庄八』を放送。

 1937年4月20日、JOAKより全国中継『河内山』を放送。

 1937年9月9日、JOAKより全国中継『槍の剛左衛門』を放送。

 1937年12月21~22日、甲府放送局より『梁川庄八』を二夜放送。

 1938年夏、陸軍恤兵部より依頼を受け、北支を慰問している。

一、往路 昭和十三年七月二十六日 宇品發 塘沽行(六甲丸) 
一、復路 同八月下旬 北支發

藝 名        本 名       住 所
浪  曲 東家楽遊  村上一夫(四五才) 深川區清澄町二ノ五
同三味線 東家時江  村上時江(四五)  深川區清澄町二ノ五

 1939年1月4日、NHK2より『塩原親子対面』を放送。

 1939年5月20日、NHKより『二人の部隊長』を放送。

 1939年9月、木村重友、鈴木照子と共に朝鮮半島に渡り、病院や部隊を慰問している。

 1939年12月16日、NHKより『井上伊藤の海外渡航』を放送。

 1940年1月12日、NHKより『義心の槍術』を放送。

 1941年1月10日、NHKより『小松嵐』を放送。

 1941年5月6日、NHKより『義心の槍術』を放送。

 1941年10月16日、NHKより『小松嵐』を放送。

 1942年3月8日、NHKより『水馬の誉れ』を放送。

 1942年8月23日、NHKより『水馬の誉れ』を放送。この頃からマンネリ化が進むようになる。

 1943年1月12日、NHKより『大石蔵之助下向』を放送。

 戦後は東宝名人会や東横有名会などに出たが既に声量は衰え、人気も落ちていたという。

 1946年4月12日、久々にNHKに出演し、懐かしの『小松嵐』を披露している。

 この後、引退同然になって舞台を退き、再び売り出す事なく、70歳で亡くなったという。

 墓は谷中一乗寺にあるという。「円楽院法遊日雄信士」が戒名。

 

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